創業社長の父が急逝し、35歳でファミレス経営のかじ取りを任され、外食デフレ時代を生き抜いた。組織が空中分解する危機を乗り越え、SRSホールディングスを国内屈指の和食チェーンに育て上げた。「経営者としては赤点ギリギリ」と自己評価しつつ、「個人の人生としては満点」と半生を振り返る。

重里欣孝(しげさと・よしたか)氏
重里欣孝(しげさと・よしたか)氏
SRSホールディングス会長。1958年大阪市生まれ。82年、日本大学法学部卒業。家業だったすし半の見習いなどを経て、87年にサト(現SRSHD)入社。93年に創業社長だった父の急逝によって35歳で代表取締役社長に就任。バブル崩壊後の経営不振から脱却するために、和食レストランへの業態一本化など構造改革を成し遂げた。趣味はゴルフ、読書。座右の銘は「愛、生きぬく」(写真=菅野 勝男)

君が社長をやるんだ この会社が崩壊するぞ

 2017年4月に10歳下の弟(現社長の重里政彦氏)に社長を引き継いでから5年がたちました。僕は小さいころから勉強はできないし、「どこでなら勝てるんや」と悩み続けた人間です。けど、35歳で突然社長になってからの25年ほどの日々は、自信をもって「楽しかった」と言えます。

 経営者としての自分は赤点ギリギリの合格点ってところかな。会社の規模は大きくできました。店舗数も社長就任時の1993年に200店強でしたが、退任時には400店を超えていました。会社は「膨張」したけど「成長軌道」に乗せられたのかといえば自信は無いです。周りの人は「ようやった」と褒めてくれるけど、自己採点は厳しめにしないとね。ただ、一個人の人生としては100点満点です。

 振り返ると波瀾(はらん)万丈な人生でした。社長になったのも本当に急な話。そもそも「外食の社長になりたい」とは思っていなかったのです。

 SRSホールディングス(HD)の源流は父(故・重里進氏)が大阪市難波の法善寺境内で1958年に創業した「法善寺すし半」。大阪の外食企業ではいち早く上場するなど、会社は順調に成長していました。僕がサト(現SRSHD)に入社したのは87年です。父の存命中は店舗開発や当時から主力業態だった郊外型和食ファミリーレストラン「和食さと」の低価格業態の開発などに携わっていました。

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