勤めていた会社を飛び出して「西日本ツアーズ」を設立してから半年強で阪神大震災が発生。相次ぐキャンセルに倒産も覚悟したが、利用者の言葉に商機を見いだして成長軌道に乗った。インターネット時代に合わせ、「移動」を中核に祖業であるツアー事業からの大転換を決断する。

村瀨茂高(むらせ・しげたか)氏
村瀨茂高(むらせ・しげたか)氏
1963年愛知県生まれ。大学時代からツアーを企画し、仲間と旅行会社に入社。94年に退社して大阪に西日本ツアーズ(現在のWILLER)を設立。2006年に高速バスのWILLER EXPRESS、15年に京都丹後鉄道、21年にスマホで配車する乗り合い型オンデマンド交通「mobi」を開始するなど業容を拡大。

 1995年1月17日、私は大阪府豊中市の自宅で大きな揺れに遭遇しました。阪神大震災です。割れた食器が散らばる家から外に出ると、煙がいくつか上がっています。ツアー会社「西日本ツアーズ」を立ち上げてまだ1年もたたない時期でした。

 車で大阪市の事務所に向かうと、何人かの社員が既に集まっていました。7人いた社員は家族を含めて全員無事でした。喜び合ったのもつかの間、営業時間になると、キャンセルの電話が鳴りやまない。こちらからも、スキーツアー中止の連絡をしなければなりません。「これで会社は潰れるな」と思いました。

 ところが電話をすると、「え、中止なの。残念」というお客様が少なからずいたんですね。奈良県や和歌山県は被害が限定的でしたから。それだけではなく、「下宿先が倒壊して住める状態ではない。スキー場に行けば、ご飯もお風呂もありますよね」という大学生からの問い合わせもあった。行きたい人がいるなら、それに応えようと腹をくくりました。

 動けるバスをかき集め、ツアー決行です。一番売ってくれる旅行会社に社員1人を常駐させ、「ツアーに行きたいというお客様を全部うちに回せ」と指示。結果、1日に20~30台のバスを出す日々がずっと続きました。1年目の売上高はなんと12億円になったのです。

「我が社は今日で潰れました」

 2000年代に入る頃には、売上高は25億円、社員数も20~30人の会社に成長していました。ですが、私には迷いが生じていた。レジャーを通じて人と人との出会いを生むのが会社の使命だと考えていましたが、既にインターネットで人々がつながる時代に入っていたからです。

 私が40歳になった03年の誕生日のこと。目にした新聞記事で楽天(現・楽天グループ)の三木谷浩史会長兼社長が「売上高1000億円を目指す」と語っていました。彼とは同世代。自分は世の中に新しい価値を提供できていないと情けなくなった。