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53歳で壱番屋の会長を辞して会社を離れ、後継社長に経営の一切を託した。持ち株の多くも売却し、クラシック音楽の普及やホームレスの支援に私財を投じる。「日本一」と自負する鮮やかな事業承継はなぜできたのか。

ココイチ宗次德二氏(1)「教科書はお客様」で世界一に
ココイチ宗次德二氏(2)ハードワークは社長の「特権」
ココイチ宗次德二氏(3)「800勝2敗」を実現した仕組み
ココイチ宗次德二氏(4)「日本一の事業承継」はなぜできた?

宗次 德二 [むねつぐ・とくじ]
1948年に石川県で生まれ、児童養護施設に預けられる。67年に愛知県立小牧高校を卒業。八洲開発、大和ハウス工業を経て、73年に岩倉沿線土地を設立。78年にカレーハウスCoCo壱番屋を立ち上げ、82年に壱番屋を設立。2002年に経営から離れる。03年にNPO法人を設立し、私財を投じてクラシック音楽の普及や演奏家の支援に尽力する。
(写真=森田 直希)

 創業者として、経営者として、私が何よりうれしいのは、日本一の事業承継ができたことです。

 創業20周年を迎えた1998年に、「カレーハウスCoCo壱番屋」は500店舗を突破。私はそれを見届けてから、社長のイスを妻の直美に譲って代表取締役会長に退きました。50歳のときのことです。2000年に株式を店頭公開し、02年、53歳で会長を妻に任せ、私は経営から離れました。

目指したのは「継栄」

 会社は、永らえなければ意味がありません。ですから私は経営というより、会社が継続して繁栄する「継栄」を目指してきました。そのためには、私たちがいなくても壱番屋が成長できるように、マイカンパニーからアワーカンパニーへと早く脱皮させる必要がありました。私たち夫婦には息子がいますが、世襲は一切考えたことはありません。彼が生まれた創業間もないころは本当に忙しくて、こんな大変な仕事を継がせようとは思いませんでした(笑)。