世界最大のカレー専門店チェーン、「カレーハウスCoCo壱番屋」を立ち上げた。不遇の少年時代の経験が、顧客第一主義を貫く原動力になった。店を訪れる客に「喜ばれ」「求められる」ことを生きがいに事業に打ち込んだ。

ココイチ宗次德二氏(1)「教科書はお客様」で世界一に
ココイチ宗次德二氏(2)ハードワークは社長の「特権」
ココイチ宗次德二氏(3)「800勝2敗」を実現した仕組み
ココイチ宗次德二氏(4)「日本一の事業承継」はなぜできた?

宗次 德二 [むねつぐ・とくじ]
1948年に石川県で生まれ、児童養護施設に預けられる。67年に愛知県立小牧高校を卒業。八洲開発、大和ハウス工業を経て、73年に岩倉沿線土地を設立。78年にカレーハウスCoCo壱番屋を立ち上げ、82年に壱番屋を設立。2002年に経営から離れる。03年にNPO法人を設立し、私財を投じてクラシック音楽の普及や演奏家の支援に尽力する。
(写真=森田 直希)

 お客様に感謝し、期待にお応えし、喜んでいただきたい。そのために努力を続けたことが、「カレーハウスCoCo壱番屋」の成功の最大の要因です。

 では、私にはなぜそれができたのか。原点は、少年時代にある気がします。

 私は実の両親を知りません。1948年に石川県で生まれてすぐに兵庫県尼崎市の児童養護施設に預けられ、3歳の時に市内に住む養父母に引き取られました。雑貨商を営む裕福な家庭でしたが、すぐに歯車が狂い始めました。養父が競輪に熱中し始め、仕事そっちのけで全財産をつぎ込んでしまい、土地も家も失ってしまった。夜逃げ同然で、岡山県に移り住みました。

雑草を食べて飢えをしのぐ

 それでも養父の競輪狂いは収まらず、日雇いの収入をすべて使ってしまう。小学校に入学してほどなく、養母は姿を消し、養父との2人暮らしが始まりました。電気や水道は止められ、家賃が払えずに廃屋に住んだこともあります。炊事などの家事は私の仕事でしたが、コメがある日が少ないので、自生している果物を拾ってきたり、時には雑草を食べて飢えをしのぎました。

 高校1年の時、養父は57歳で胃がんで亡くなりました。養母の居場所は小学生の時に分かり、一時は一緒にも暮らしました。養父の入院後、養母と再び暮らし始め、友人の実家の豆腐店で早朝働いて家計を助けました。こんな少年時代が、忍耐力を養ってくれた気がします。

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