ビデオテープの廃プラ処理という手付かずの“都市油田”を発見。起業後初めて一大商機をつかんだ。しかし、急激な円高のあおりで需要は蒸発。売り上げ急減に見舞われる中、ペットボトル飲料に着目する。押っ取り刀でリサイクル事業に挑んだが、技術の難しさに出口の見えないトンネルに迷い込んでしまう。

古澤栄一(ふるさわ・えいいち)氏
古澤栄一(ふるさわ・えいいち)氏
1956年栃木県生まれ。81年、廃プラスチックの油化事業を手掛ける会社を知人と立ち上げる。後に独立し、夫人と85年に協栄産業を設立。廃ペットボトルをペットボトル用樹脂原料に再生する日本初の技術を2006年に開発。ペットボトルリサイクルの日本最大手になる。「廃PETボトル再商品化協議会」の会長も務めた。(写真=北山 宏一)

 「分ければ資源、混ぜればごみ。これ全部、ただで引き取ります!」。日本ビクター(現JVCケンウッド)工場に通うこと1カ月、ようやくビデオテープのポリエチレンテレフタレート(PET)フィルムの廃材ヤードに通された私は、“宝の山”を前に声が弾みました。

 同社は廃プラ処理に毎月300万円以上も支払っており、本来なら委託料がつくはずでした。残念ながら当時、私は産業廃棄物処理業者の許可証を持っていなかった。そのためテープ廃材の引き取りは無料にせざるを得なかったわけですが、そこは「損して得取れ」です。この商機に食らいつきました。

 その後、ビクターと規格争いをしていたソニーのテープ廃材の受注にも成功。回収したPETは、加工委託先を通して繊維などに再生し、販売しました。この取引で年間約3700万円の売り上げを確保。波に乗りました。

起業後、商機をつかむことに前のめりだった(創業時の古澤社長)
起業後、商機をつかむことに前のめりだった(創業時の古澤社長)

 しかし、再び世界情勢に翻弄されます。1985年のプラザ合意に伴う急激な円高です。各社はビデオテープ工場の海外移転を進めました。円高に耐えきれず閉鎖する工場も出てきました。

 私は次の“都市油田”を探します。着目したのが80年代後半から普及し始めたペットボトル飲料。ボトル容器メーカーや廃プラ事業者を訪ねて情報をかき集めました。使用済みボトルは粉々に砕き、溶かして「ペレット(粒状の固形樹脂)」に再生していましたが、再生処理会社は異口同音にこう言うのです。「あれはやっかい。ペレットにしたらパキパキ折れちゃうんだから」と。

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