パソコンやスマートフォンのアクセサリーや周辺機器を手掛けるエレコムの創業者。高収益企業をつくり上げた原動力は、没落した「家」を再興するという執念だった。小学校高学年から大学まで抱き続けた孤独感が、人生を前進させるエネルギーに。

 僕は起業当初、心の中では「お家再興」を目指してきました。そのことは近しい人にしか話したことがなく、今の社員は誰も知りません。屈折していると言われるかもしれませんが、これが生きる原動力になってきましたし、エレコムのビジネスモデルをつくる上での重要な反面教師になっているのです。

 僕は三重県熊野市で生まれ、幼少期は裕福な環境で過ごしました。父は大阪の有力な材木問屋の長男で、なぜか弟に家督を譲って熊野で製材工場を営んでいました。そこで父は、大地主の娘だった母と出会いました。製材工場の職人に背負われて、母の実家が持つ山林にマツタケを採りに行ったことをよく覚えています。僕が通っていた幼稚園や小学校には、町長だった祖父が多額の寄付をしていました。

 銀行さんの話では、母方の実家の総資産は今のお金に換算すれば合計でざっと2300億円ほどはあったようです。エレコムの時価総額はまだ1620億円程度(2月28日時点)ですから、お家再興はまだ果たしていないんですよ(笑)。

 しかし、裕福な生活は長くは続きませんでした。母の実家は伯父たちの放蕩(ほうとう)で徐々に没落していきました。母は気丈な人だったので、こんなところにいてはだめだと熊野を出ることを決意し、僕が小学校5年生のときに兵庫県の芦屋に引っ越しました。

家の没落と学生時代の孤独

 熊野の小学校では僕はトップクラスの成績でした。ところが、芦屋の小学校では下位に沈みました。悔しかったですよ。私立の中学校を受験するために、そこから猛勉強です。おそらく一生で一番勉強したと思います。

 しかし、希望する中学校を受験することはかないませんでした。進学したのは甲南中学校。そのまま高校、大学と甲南に通いました。今振り返ると、あのまま田舎にいたらそれなりの大学に進学し、平凡なサラリーマン人生を歩んでいたかもしれません。僕が会社経営という困難な道を歩むことになったのは、甲南に入ったことが一つの岐路になっていると思っています。

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