アスリート御用達のマットレスとして知られる「エアウィーヴ」を開発し、世の寝具に新たな価値を提供。父からの独立を願いつつ、父の興した会社に入社し、親族が経営する赤字企業の株式も買い取った。「家業承継と存続は自分の宿命」と自覚し、父の残した土壌を生かして新しい事業を育て上げた。

ビジネスパーソンが力を発揮する上で睡眠は大切です。当社は睡眠の質にこだわってきました。手掛けるマットレスパッドやベッドマットレスは、エアファイバーというポリエチレン樹脂による高反発の弾力性が特徴です。寝具に新しい価値を提供してきたと自負しています。
新型コロナウイルス禍の当初は店舗休業などもあり苦戦しました。しかし、在宅が増え寝具の大切さに光が当たるようになり、売り上げを急速に回復。インターネット経由の販売やテレビ通販にも力を入れて、2022年度は過去最高の売上高217億円となる見込みです。ただ、現在に至る道のりは平たんではありませんでした。
私は1960年に名古屋市に生まれました。父は配電用機器メーカー日本高圧電気(愛知県大府市)の創業社長です。高等教育を受けられなかった父は苦労して事業を成長させました。しつけに厳しく子供の頃、私も2人の姉も家の庭の松の木に縛り付けられることも。父は「能力がない人物が社長になるべきではない」と言っていましたが、祖母らからは「あれだけ苦労して会社を大きくしたのだから、将来は継がないといけない」と言われつつ育ちました。
中学・高校では理系の科目が得意でした。父の意向もあり高校卒業後は名古屋大学工学部に入学。専攻は電気が第1希望でしたがかなわず、応用物理学科を学びました。父から離れたい気持ちから卒業後は名古屋を離れ、慶応義塾大学大学院経営管理研究科に入りました。経営学修士号(MBA)を取得する頃には外で働きたい気持ちが強く、当時の長銀経営研究所から内定をもらいました。
しかし、父は私に家業入りを説得。大学院で学んだ私は父が育てた300人規模の会社をゼロから立ち上げる大変さを理解しており、迷いました。
3時間睡眠で学んだ留学時代
85年、「体調がよくない」という父の嘘に乗って父の会社に入社しました。ただ、入ってすぐ留学しています。語学の大切さを痛感していた父の考えです。私は奮起して米スタンフォード大学大学院の経済システム工学科修士課程に進みました。キャンパス内に住み毎日3時間睡眠で学ぶ日々。ビジネススクールには起業家を目指す人も多く刺激を受けました。2年後に修了し、26歳で日本に戻りました。
慶応、スタンフォードでの経験を経て家業を俯瞰すると、会社は父の「個人商店」でしかなかった。学んだ世界とかけ離れていたのです。ただ、父も「電力機器だけではいつかダメになるかもしれない」と考えていたようです。新規で建材事業に挑んでおり、私は同部門に配属されました。
製品開発が中心の最初の2年はよかったのですが、マーケティングの段階で事業の難しさに気付きました。父は理屈抜きで「できる」と考える人でした。私がロジックで意見すると、父は一部を認めるものの、核心については自分の考えを貫いた。度々、ちゃぶ台をひっくり返すようなけんかをしましたよ(笑)。
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