2000年代半ばに地価暴落で自社ビルを手放し、新型コロナウイルス禍では訪日客需要が蒸発した。創業から半世紀、幾多の試練が訪れ、社会構造が大きく変化しても、木村社長は全く悲観しなかった。高品質、高付加価値のものづくりを突き詰めて、ついに世界に誇れる「最高級ライン」を完成させた。

木村皓一(きむら・こういち)氏
木村皓一(きむら・こういち)氏
1945年滋賀県彦根市生まれ。関西大学経済学部を中退し、野村証券入社。父が経営する婦人服メーカーを経て71年、三起産業を創業。78年三起商行を設立し、「ミキハウス」を世界的な子供服ブランドに育て上げた。スポーツ支援に尽力し、五輪では柔道3連覇の野村忠宏ら100人を超す代表選手を輩出。自身も今なお軟式野球を続ける。(写真=水野 浩志)

 今、振り返っても、もったいなかったと思いますわ。2000年代半ば、全国の一等地に持っていた「ミキハウスビル」を全部売却したんです。地価がものすごく下がり、担保価値を割ったということで手放したけど、それが底値で、えらい損しました。

 日本国内でこれ以上ビジネスを広げるのは難しい。もうええやん、とそのとき思った。むしろ日本製であることを誇りに、高品質な子供服ブランドとして世界で戦おう。そう決意して海外にどんどんお店をつくっていきました。10年には上海万博に出展し、中国にも売りに出かけた。今や海外客の売り上げが全体の約6割を占めるまでになりました。

 インバウンド(訪日外国人)が年々増える中での新型コロナウイルス禍は、えらいこっちゃでした。そもそも感染拡大の初期は、売り場のある百貨店そのものが閉まったんやからね。ただ幸いにも、インターネットを通じて注文は多かった。

 「きっと乗り越えられる。何をびびってんねん。こういうときこそ集まるぞ」と社員に呼び掛け、月曜日と木曜日は本社で飲み会や。奮発して北新地の高級ステーキ弁当を取り寄せて、換気がしっかりしている広いラウンジを開放した。日本で暮らす外国籍のスタッフの不安も少なくなりましたし、何より社内の人間関係が、すごくようなりましたわ。

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