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23歳で自分の店を持ち、夢の「3店舗展開」に向け経営者の道を歩み始めた粟田氏。創業直後の危機を、他の店舗やチェーンをヒントに「深夜営業」と「女性客狙い」で乗り越えた。その後はロードサイドにファミリー向けの店舗を出店するが、想定外の災難が待ち受けていた。

粟田 貴也 [あわた・たかや]
1961年神戸市生まれ。64年に兵庫県加古川市に転居。81年に神戸市外国語大学に入学するが翌年中退。運送会社のドライバーなどを経て、85年に焼鳥居酒屋「トリドール三番館」を開業。2000年にセルフ式うどんチェーン「丸亀製麺」を開いた。海外展開や合併・買収を推し進め、15年にはグループで1000店舗を達成した。(写真=陶山 勉)

 念願の自分の店を23歳で持つことになり、「3店舗の経営」に向かって船出しました。でも、当初は何をどうすれば繁盛するのかなんて全く分かっていなかった。「店を出せば人は来る」などと乱暴な考えで開業したのです。「坊主」(来店客ゼロ)はありませんでしたが、1日の客が3人なんて日はざらにありました。1年目はほんまにアカンかった。でもある意味、焼き鳥だからまだよかった。これが魚の商売やったら店は潰れていたでしょうね。

 うだつの上がらなかった頃、ふと目にした駅前のラーメン屋がすごくはやっていた。「何ではやるんやろなあ。立地も路地裏なのに」と見ていたら、分かったことがありました。その店に人が集まり始めるのは決まって日付が変わる頃だった。つまり、他に営業している飲み屋がなかったということですね。ラーメン屋に行っている客はみんな、ビールを飲んだりしていました。

 「これやったらうちでもやったろう」と。私も当時は若くて体力もあったので、明け方まで営業するようにしました。午前0時までは客は集まりませんでしたが、1時とか2時になるとお客さんが入るようになり、深夜がピークタイムになりました。

店舗を「南欧風」に改装

 けど、深夜のお客さんは酔っているから酒はそんなには飲んでくれない。うるさいしケンカも起きる。難儀しましたよ。とにかく、深夜営業の導入で何とか廃業の危機は脱することができました。