子供服ブランド「ミキハウス」は、歴代の五輪競技に総勢100人を超す代表選手を送り出してきた。きっかけは車いすバスケットボールチームの支援。木村社長は「企業は感謝されなあかん」と悟った。女子柔道や卓球、カヌーなど、支援する企業がなかったマイナー競技にも次々と手を差し伸べている。

木村皓一(きむら・こういち)氏
木村皓一(きむら・こういち)氏
1945年滋賀県彦根市生まれ。関西大学経済学部を中退し、野村証券入社。父が経営する婦人服メーカーを経て71年、三起産業を創業。78年三起商行を設立し、「ミキハウス」を世界的な子供服ブランドに育て上げた。スポーツ支援に尽力し、五輪では柔道3連覇の野村忠宏ら100人を超す代表選手を輩出。自身も今なお軟式野球を続ける。(写真=水野 浩志)

 ミキハウスには硬式野球部がありましてね。2021年に「創業50周年やから、(都市対抗野球大会の試合会場となる)東京ドームへ僕を連れて行ってな」と野球部の皆に言ったんですよ。そしたら、近畿地区予選を勝ち抜いて、ほんまに全国大会出場を決めてくれた。その翌年も全国大会に出場してくれました。U-23の侍ジャパンで4番打者に抜てきされ、世界一に貢献した猪原隆雅選手のような逸材も育ってきたんです。

 彼らの仕事は物流なんですよ。三重県伊賀市の「ミキハウス伊賀上野物流センター」で働いています。今の本社を建てる前から物流センターは絶対に必要になると思って、2万坪の土地を確保していたんです。だけど、働く人がおれへんねん。「どうしよう。あ、せやせや」と。

 ドラフト会議で指名されへんかったけど、やっぱり将来はプロ野球選手になりたい──。そんな夢を追いかける若者を集めて、働きながら野球ができる環境をつくってあげられたらと考えたんですよ。2万坪もあるので、物流センターの横に球場も、室内練習場も整備しました。

 「大学を卒業して親からの仕送りはないやろ。自分の飯代ぐらい自分で稼げ、と。それで一生懸命練習してプロへ行きや」という思いでした。

 伊賀上野は(本社がある大阪府)八尾市から車で1時間程度と行き来しやすいんですよ。なので、僕も毎週日曜日にこの球場に行って、ノックを受けています。

 というのも、僕は今でも八尾東ロータリークラブ(RC)の野球チームに所属していましてね。22年10月に松山市の坊ちゃんスタジアムであったRCの全国大会にも選手として出場しました。ポジションはサード。ある試合でわりかし速い球が飛んで来たんですよ。バアッと前に走ってガッと捕ってセカンドへピュッと投げたら、太ももの裏っ側を切ってもうた。あかんわ。もう年や(笑)。

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