子供服ブランド「ミキハウス」は日本の百貨店で展開するよりも早く、海外でデビューを飾った。1979年、米ニューヨークの百貨店が取引を開始。87年にはパリの一等地に直営店を構えた。ブランド価値を高めるため新本社の建設に着手。人材獲得に注力し、海外出店を加速してきた。

木村皓一(きむら・こういち)氏
木村皓一(きむら・こういち)氏
1945年滋賀県彦根市生まれ。関西大学経済学部を中退し、野村証券入社。父が経営する婦人服メーカーを経て71年、三起産業を創業。78年三起商行を設立し、「ミキハウス」を世界的な子供服ブランドに育て上げた。スポーツ支援に尽力し、五輪では柔道3連覇の野村忠宏ら100人を超す代表選手を輩出。自身も今なお軟式野球を続ける。(写真=水野 浩志)

 1970年代後半、日本の百貨店は小さな会社だったうちの商品を取り扱ってくれへんかった。それなら「世界一の百貨店に行ってやろう」と、米ニューヨークの5番街にあるサックス・フィフス・アベニューにサンプルを持ち込んだんですよ。クオリティー(品質)テストがあって、「ミキハウス」の子供服は全て合格。ほんまもんの注文書を出してくれはった。

 それからが大変や、もう。先方は早速「5枚、10枚欲しい」と言うんやけど、当時の輸出枠はだいたい商社が押さえとった。だから商社勤務の友達のところに行って注文書を見せて「うちも枠がいるねん。頼むわ」とお願いしました。そうしたら「木村、あのな。10万枚とか100万枚とかなら分かるけど、10枚とか5枚とか……。商社にとって伝票代にもならへんがな」と。

 友達からはそう言われたけど、サンプル取引のような形で枠をもらえて、79年からサックスでの取り扱いが始まりました。(輸送費は)だいぶ高うつきましたけど、よう売れましてね。サックス側もちゃんと店頭で個別の棚を設けて、どんどん発注してくれるようになった。

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