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前回までのあらすじ

 2014年、金融コンサルタントの古賀遼は日銀政策委員会審議委員の青山ゆかりの元を訪れ、ゆかりの娘のマリファナ使用の写真を見せながら、執行部案への賛成を迫る。その数年後、大手出版社社員の池内貴弘は、書籍の営業を担当していたが、突然、月刊誌編集部への異動を告げられる。

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(2)

 午前9時過ぎ、池内は九段下の言論構想社に出社した。大理石のロビーからエレベーターに乗り、5階で降りる。薄暗い廊下を奥に進み、目白通りを見下ろす角部屋へ向かうが、周囲に人影はない。10日前までいた8階営業部とは大違いだ。8階はほとんどの社員や契約スタッフ、アルバイトが出勤し、全国の書店から集まる注文の確認や取次との連絡に追われる時間帯だ。同じ社内でも全く勝手が違う。

 〈月刊言論構想編集部〉

 白く大きな扉、ドアノブ近くにあるカードリーダーにICタグをかざすと、ロックが解除された。営業マン時代、なんども打ち合わせに赴いた部屋だが、やはり誰もいない。

 腕時計の日付表示を見ると、ガラ空きの理由がわかった。会社の看板雑誌である月刊言論構想は前日が校了日だった。多くの編集者や記者、外部のライターが居残り、最後の原稿を印刷所に送り出した直後だ。

 締め切りギリギリに届いた作家の原稿に手を入れる編集者、取材相手から厳重な抗議を受け、顧問弁護士と対応策を練った記者……校了を経た総合月刊誌の編集部は、嵐の後の静けさに浸っている。

 壁のスイッチに触れ、電灯を点ける。30畳ほどのスペースに、20脚の机と椅子が並べられ、それぞれの周囲にゲラや書籍が堆(うずたか)く積まれている。

 部屋の中央にある大きな丸テーブルの上には、来月号の新聞広告の見本が置かれ、赤ペンや青ペンが放置されている。営業部もゲラや自社物の書籍があちこちに散らばるが、編集部ほど乱雑ではない。どこに座ってよいかわからず、池内は丸テーブルの空いた席に鞄を置いた。ノートパソコンを起動すると、10日前の光景が蘇った。

 〈決定は決定だ〉

 〈奥さんの海外転勤に付いていくため、休職した記者がいる〉

 〈あいつでなければダメという書き手については、現地から編集作業する〉

 営業マンとして、電子書籍の販売促進策、テレビ局や映画会社との連携強化など熱心に携わってきた業務があると主張したが、外堀はとっくに埋まっていた。

 〈以前、記者経験があるんだから、うろたえることはない〉

 営業部長は一方的に告げ、パソコンの画面に映る売り上げデータに目を凝らした。突然の内示以降、後輩と引き継ぎを行った。その後は直接挨拶に出向ける書店員や取次の担当者に異動を知らせて回り、10日間はあっという間に過ぎた。

日経ビジネス2019年10月14日号 64~67ページより目次