月刊誌記者の池内貴弘は取材源の日銀OB、南雲壮吉が日銀のクーデター計画に絡んでいたと知る。南雲は計画の根幹には、日本の財政を立て直したい思いがあったこと、計画を知った磯田一郎副総理の怒りを池内に伝えるが、池内は裏側で起きたことをさらに取材しようと動く。
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南雲と会った翌日の夕方、池内はガラス張り20階建ての真新しい校舎前に立った。都心の広大な敷地には、歴史的建造物に指定された大講堂や煉瓦造りの図書館のほか、明治維新を経て、大学を創立した人物の銅像がある。
大学生の頃、池内はなんどか西北大学に足を運んだ。高校の同級生が広告関係のサークルに所属していた縁で、学食で大盛りカツカレーを食べ、ベンチで他愛もない話をして過ごした。
校舎前の受付でアポがある旨を告げ、最新鋭のキャンパスに足を踏み入れた。弱い西陽が差し込み、ホール全体を照らす。通常なら講義や実習を終えた学生たちが下りのエスカレーターから出口へと向かっていく時間だが、入試のタイミングで、周囲はガランとしている。
サークル活動、飲み会、就活……学生たちが様々な話題を口にし、友人たちとキャンパスを後にする姿を想像しながら、池内は上のフロアを目指した。ゆっくりと動く階段の途中で、昨夜の南雲の赤ら顔が浮かんだ。
〈彼女の意思が正しく反映された採決だったなら、今ごろ日本の景色は変わっていたはずです〉
南雲は分厚いステーキのあとにドルチェを平らげ、年代物のブランデーを舐めながら言った。採決とは、日銀の金融政策決定会合のことだ。今から5年以上前、2014年10月31日。この日が日本経済の分水嶺だったと南雲が声を荒らげた。
南雲と別れたあと、急ぎ九段下の会社に戻り、池内は資料室に籠もった。誰もいない資料検索専用パソコンを使い、日付とともに日銀、金融政策決定会合と打ち込み、結果を待った。すると、社のデータベース担当者がスクラップした資料の一覧が現れた。池内は外資系通信社の短い本記に目を凝らした。
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