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 池内はもっと詳しい話をしてほしいと南雲に求めた。

「本来、FRB議長のカウンターパーティーは赤間総裁です。しかし、金融政策のプライドを早々に捨て、政府の言いなりになるような人物は、スティーブだけでなく世界中の中銀マンが軽蔑し、信用していません」

 南雲の声が次第に大きくなった。

「そんな状況を憂いたスティーブは、国際会議でなんども言葉を交わした磯田大臣との信頼関係を深めました」

 池内は記憶をたどった。経済担当を命じられた直後、社の書庫から大量の新聞の縮刷版や経済専門誌のスクラップを取り寄せた。その中に、先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議や、世界銀行の総会など財政金融当局のトップが集う会合が載っていた。

「磯田先生は英語が堪能です。会議後の食事や懇親会の場で、2人は日米の経済政策の危うさ、それぞれのリーダーの特性などについて意見が合致しました。以降、非公式ルートを通じて互いに危機感を共有していました」

 南雲がスマホを取り出し、写真フォルダを開いた。池内が画面に目を凝らすと、USBメモリがいくつも写っていた。

「ネットを通じてメッセージをやりとりすると、米側の諜報機関に中身が筒抜けになってしまいます。スティーブは機密保持を重視し、両国を出張する機会の多い弊社のスタッフにUSBを託したのです」

 池内は小さな唸り声を上げた。スパイ小説や映画さながらの話だ。こうして南雲が写真を見せてくれている以上、事実なのだ。

「それで、磯田大臣が怒ったというのはどういう意味を持つのですか?」

 池内の問いかけに、南雲が下を向いた。

「新時代のスクープで瀬戸口氏が辞任しました。直後、クーデターの動きが磯田先生に抜けてしまいました」

 抜けた……南雲が生々しい言葉を使ったとき、池内の心の中になにかが引っかかった。小さなトゲだが、鋭い痛みを伴うものだ。

「磯田先生は、我々クーデターの首謀者たちがスティーブとつながっているのか、つまり、アメリカ側が一連の動きを後押しする、そうしないまでも黙認するかどうか、慎重に見極めていらっしゃいました」

「それで、米側との連携はあったのですか?」

 池内の問いに、南雲が肩を落とした。やはり……そう言いかけたが、なんとか堪えた。

「我々は段取りを考えていました。瀬戸口を追い出したあと、現在の日銀の政策運営に危機感を抱くOB、そして現役職員が連名で声明文を発表する準備をしていました」

 池内は目線で南雲に断り、スマホを取り出した。メモアプリを起動し、フリック入力でメモを打ち始める。

「その際は、FRBだけでなく、欧州中銀(ECB)にも支援してもらえるよう、危機感を共有する計画だったのです」

「どうやって計画が磯田大臣に抜けたのですか?」

 池内が尋ねた瞬間、下を向いていた南雲がいきなり顔を上げた。その悔しげな表情に接した瞬間、自らの心の中に刺さっていたトゲの正体がわかった。池内は写真ファイルを開き、懸命に画面をスクロールした。トゲの存在を炙り出したのが、先ほどからなんども聞いた磯田という名前、そして政界の重鎮に近い男だ。

日経ビジネス2020年8月17日号 56~59ページより目次