間髪入れず古賀が言った。池内はもう一口、水割りを飲んだ。
「瀬戸口氏の辞任劇の裏側には、反赤間派のOBによる仕掛けがありました」
古賀がわずかに顎を引いたが、言葉は発しない。
「赤間総裁や雪村副総裁の政策運営に強い不満を持ち、日銀を正常化させたい、そんな思惑が蓄積し、リフレ派の瀬戸口氏の個人的なスキャンダルを持ち出した、そんな構図がありました」
言葉を選びながら、池内はゆっくりと告げた。依然として古賀は言葉を発しない。静かにグラスを口に運び続ける。
「長いスパンで日本の金融界をご覧になってきた古賀さんのご意見をうかがいたいと思っています」
池内が言うと、古賀が口元に笑みを浮かべた。
「なにか勘違いされているようです」
「なにがですか?」
「私は一介の金融コンサルタントです。それに、現在は軸足をNPO活動に移しています。以前なら、大銀行や大企業、それにお役所など業界の噂話が漏れ聞こえてくることもありました。しかし、今はなにも存じ上げませんよ」
古賀が言い終えた直後、池内は強く首を振った。
「いえ、古賀さんは未だ第一線におられる方です」
「日銀出身のコンサルタントやエコノミストの方は何人か存じあげております。しかし、なにもお手伝いできるようなことはありません」
古賀が言い終えぬうちに、池内はもう一度首を振り、下腹に力を込める。
「日銀出身の南雲さんという方はご存知でしょうか? 現在は大手電機メーカー系列のシンクタンクにお勤めです」
古賀がグラスをカウンターに置き、腕を組んだ。
「以前、外資系証券のクリスマスパーティーでお会いして、ご挨拶したことがありました。彼がなにか?」
池内は古賀の様子を注意深く観察した。店に入ったときから、古賀の態度は一貫して落ち着いている。ビールから水割りに変わっても酔った様子はなく、クールな表情に変化はない。ただ、左手が先ほどと違う。左の人差し指と中指が、ピアノの鍵盤を叩くように動き始めた。長年金融業界で裏仕事を手がけていれば、パーティーに顔を出す機会もあっただろう。外資系証券が内外の顧客を集めるような場所で、南雲と知遇を得たとしても不思議ではない。左手の動きはなにを意味するのか。
「彼がクーデターの首謀者の1人だとしたら、どうしますか?」
池内は声を潜めた。
「えっ?」
古賀が口を開けた。顔は心底驚いていると池内の目には見えた。秘かに左手を見る。指の動きが速まった。先ほどがスローバラードなら、今の古賀の指は協奏曲を弾くピアニストのようだ。明確な異変が生じている。ここが攻め時だ。池内は腹を決めた。
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