全6415文字
前回までのあらすじ

 金融業界を取材する月刊誌記者の池内貴弘は、政界にパイプを持つ金融コンサルタントの古賀遼を追うが、取材はできないままだった。日銀では副総裁が不倫スキャンダルで辞任する。米国では大統領選が始まり、中国では新型の肺炎が流行し、世界経済は不透明感を増していた。

前回を読むには、こちらをクリックしてください

(2)

 「宮田さんはお元気でしたか?」

 大手町中心部にある最新のビジネスタワー15階。日当たりの良い部屋で、日銀OBの南雲が朗らかに笑った。

 「元気でした。元々は私と同じ落第寸前の劣等生だったのですが、柄にもなくサブキャップを務めておりました」

 池内が答えると、南雲が皮張りのソファを勧めた。広さは20畳ほど、モダンなデザインの執務机や応接セットが部屋の中心にあり、壁の書架には日銀や海外中銀が発行した統計に関する分厚い書籍、横文字の専門書が詰まっている。

 宮田の紹介で、大手電機メーカー系列のシンクタンクに足を運んだ。宮田によれば、南雲は将来の生え抜き総裁候補とみなされていた逸材だが、歯に衣着せぬ物言いで上層部と反りが合わず、理事昇格が本命視されていたタイミングで民間に出たという。良く通るバリトンの声、厚手のコーデュロイのジャケットにタートルネックのセーターというカジュアルないでたちと相まって、人懐こそうな印象が強い。

 「早速ですが今回の日銀の騒動について、忌憚のないご意見をお聞かせください」

 池内は取材ノートを開き、脇にICレコーダーを置いた。目で録音可能かと尋ねると、南雲が頷いた。

 「厳しい言い方ですが、外部から来られた方は中央銀行マンとしての矜持が足りなかったのかもしれませんね」

 南雲が腕を組み、答えた。

 「矜持を具体的に言うと?」

 「中銀マンは、政治家や財務官僚に比べ表に出る機会が少ない裏方です。仕事は地味ですが、国民一人ひとりの生活を、物価や通貨価値の安定を通じて支えているという強いプライドがあります」

 くだけた雰囲気とは裏腹に、南雲が真面目な口調で言った。

 「身分不相応な振る舞いは、国民の目線から外れ、いずれ職務に支障をきたします」

 「日銀の職員はそのような教育を受けているという意味ですか?」

 「特別な訓練はありません。ただ、諸先輩方の立ち居振る舞いを見ているうちに自然と矜持や心持ちができてくるものです」

日経ビジネス2020年6月8日号 54~57ページより目次