「顔色うかがい、空気読む。 議論を尽くさぬ日本は、 民主主義でなく合議主義」

 安倍晋三元首相の国葬は、政府からの説明が不足したまま開催に至った。政府内でも十分な議論がされたとは言い難い。なぜ、日本では議論が尽くされないのか。今回は、大きな社会を動かしていく際に必要な議論のあり方について考えたい。

 社会の構成員が何万人、何百万人という大規模になったとき、それをどのように動かしていくかの知恵は生物学的にはない。だが、その社会性が遺伝的に組み込まれている生物がいる。構成する個体数が何百万にも上り、ともに生活するのが、社会性昆虫のアリやハチだ。個体数が多くなるほど、全体として1つの方向性を決めて動くことは難しい。しかし、アリの1匹1匹を見ると列を乱すことなく動いている。

 アリがそうした動きをできるのは、遺伝的に決まったいくつかのアルゴリズムが組み込まれているためだ。アリの頭には脳がない。よってアリは物事を考えて動いているわけでない。脳の代わりにあるのが、キノコ型の神経だ。この神経がどう反応するかでアリ1匹1匹の動きが決まる。

 アリの動作の元になっているアルゴリズムは、個体がなるべく死なないような設計になっている。感覚器官と運動器官が連動し、こんな匂いがしたら逃げる。別の匂いがすれば仲間の後をついていくといった具合だ。一方、人間にはこうしたアルゴリズムがない。人間は100万年以上にわたって、狩猟採集民として小さな社会を作って生活してきた。そして、同じ地域にとどまって農耕牧畜を始めたのはこの1万年ほどのことだ。この過程で政治が生まれ、社会も大きくなった。だから、こうした大きな社会をどう動かすかの知恵を人間は昔から持ち合わせていたわけでない。頭で一生懸命考えているのだ。アリのようなアルゴリズムがないのであれば、何で社会の方向性を決めるのか。それは話し合いだろう。