全1464文字

「地方創生の糸口は、『北前船』にあり。交流が魅力を引き出す」

 天皇陛下が多くの国民にお言葉を述べられる、令和最初の一般参賀が5月4日にあった。私が印象に残ったことの一つは、皇居から数百m離れたJR東京駅まで続く参賀者の長い列だ。宮内庁によると計6回の参賀に集まったのは14万1130人。それほど多くの人々が天皇陛下の即位を祝福するため全国津々浦々からやってきたことに感慨を禁じ得なかった。

 地方に元気がないといわれて久しいが、そこに暮らす人々の織りなす熱気の強さというか、今なお秘めるエネルギーの大きさを、まざまざと実感した。

 言うまでもないことだが、国力の維持・向上にとり、地方が活気を取り戻せるかどうかは大きな課題だ。産官学における「地方創生」や「地域活性」の取り組みは様々ある。私は、地域間の交流をより活発にし、その輪を広げていくことが肝要だと考えている。そうすることで地方が秘めている力をもっと引き出せるのではないか。

 こうした観点から関心を寄せているテーマがある。江戸時代から明治時代にかけて日本海海運の主役を担った「北前船」だ。

 北前船は蝦夷(北海道)から東北、北陸、山陰、下関を回って瀬戸内、そして上方(大阪)に至る物流の大動脈だった。大阪へは米やニシン、昆布、アワビなどが、逆のコースでは塩や酒、古着などが運ばれた。問屋も船主も交易で巨万の富を築き、港町も大いに栄えたが、それだけではない。全国各地の産業振興や文化の発展においても、北前船は大きな役割を果たした。

 倉敷では栄養効率の良い北海道のニシン粕を肥料として綿花栽培が盛んになった。そこから紡績や織物など繊維産業の発展につながったのは周知の通りである。海を干拓してできた倉敷の平野はコメ作りに適さなかったが、綿花は比較的塩分に強い。雨が少なく乾燥しがちな気候も栽培に向いていたようだ。

 倉敷の綿花を育んだ北海道のニシンと、瀬戸内の風土。少々大げさだが、遠すぎて交わるはずのなかったそれらを北前船が引き合わせ、地域の潜在的な力が引き出されたわけだ。

 このことは地方創生という現代の課題に対応するうえで重要な示唆を含んでいる。北前船のようにモノやヒト、情報が広範囲に行き交うことで、各地域に新たな価値が生まれて活性化するきっかけになる、ということだ。

日経ビジネス2019年6月3日号 110ページより目次