「戦争は球児の夢を奪った小売業の繁栄は平和の象徴 草の根の交流が大事」

 今年も春の選抜高校野球大会が近づいてきた。私は戦前、“高校球児”だった。野球を始めたのは小学生の頃。家業の岡田屋呉服店に野球部があり、自転車の後ろに乗せてもらい、グラウンドによく足を運んだ。小学校5年生の頃に少年野球チームに入団。ポジションはサードだった。

 三重県立の旧制富田中学校(現四日市高校)に入学してからも野球部に入部。部員が少なく、3年生でレギュラーに選ばれた。弱小チームでなかなか試合に勝てなかったが、みんなで白球を追いかけた。

 だが、太平洋戦争が始まり、野球は「敵性スポーツ」とされ、風当たりが強まっていく。大会は中止。そして5年生の時、ついに野球部の解散が決まる。当時は学校に配属将校と呼ばれる軍人がいて、「敵性国のスポーツはけしからん」と言われた。部員みんなで突撃してバックネットを破壊した。

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