故稲盛和夫氏の創業した京セラを2017年から率いる。売上高は2兆円に迫るが、競合に比べ成長力で物足りなさもある。何を変え、何を残すか。カリスマなき後の経営について語る。

(聞き手は 本誌編集長 磯貝 高行)

(写真=菅野 勝男)
(写真=菅野 勝男)
PROFILE

谷本秀夫[たにもと・ひでお] 氏
1960年生まれ。上智大学理工学部を卒業後、82年に京都セラミック(現・京セラ)入社。2015年執行役員、16年取締役、17年4月から現職。入社時からセラミック畑を歩み、焼成工程の時間を10分の1以下に縮めた焼成炉の開発などで実績を積んだ。14年から3年間はファインセラミック事業全体を指揮。売上高、利益を伸ばすとともに事業のデジタル化など改革を進めた。趣味は読書や音楽鑑賞。長崎市出身。

創業者である稲盛和夫名誉会長が亡くなられました。谷本社長にとってどんな存在でしたか。

 とにかく偉大な創業者としか言いようがありません。役員や社長に就任したときなどに「人間性をとにかく高めなさい」と言われてきました。

 若い頃は「もう少し仕事に直結することを教えてほしい」と素直ではない気持ちもありましたが、私も社長として6年目。年を取れば取るほど、稲盛の言うことはつくづくその通りだと思うようになりました。例えばメタバースのような先端技術は、専門知識に明るい若い方の話を経営者として聞いて学ぶ必要があります。しかし、そうした方が私にしっかりと話をしてくれるかどうかは、ひとえに私の人間性に懸かっています。

 稲盛の哲学には決して難しいことは書かれていません。ですが、単に著作を読むだけではなく、実際に経営の様々な苦労に直面してみないと、その真価は分からない面があります。稲盛の考えを学ぶ「盛和塾」で中小企業の経営者の方々がここまで盛り上がったのも、いろいろと苦労されるなかで話を聞き、ファンになられたからではないでしょうか。

稲盛氏が一番真剣だった

特に記憶に残っているのはどんなエピソードでしょうか。

 初めて間近にお会いしたのは、30歳のとき。鹿児島の川内工場(鹿児島県薩摩川内市)で新しいセラミック部品の製造ラインをつくるプロジェクトのリーダーを任され、2年で何とか完成させた際、見学にいらしていただきました。

 私のような若者の説明を、これほど集中して聞く方がいるのかと驚きました。30分ほどでしたが、ずっと目を見て聞かれていました。ある意味怖かったのですが、多くの方を新ラインに案内したなかであそこまで真剣に話を聞いたのは稲盛だけです。仕事に集中したら、それ以外目もくれないという感じの人間でした。

怒られることはありましたか。

 非常に厳しかったそうですが、私たちの世代で血相を変えて怒られることはあまりなかったですね。私が社長になってから、業績の報告に行くと、手を合わせて「ありがとう」と仰るのです。お亡くなりになる前まで、誰に対してもそのようにご対応されていました。

稲盛さんの経営哲学のうち、変えてはいけないもの、時代に合わせて変えるべきものは何でしょうか。

 本質は変える必要がないと思います。稲盛の言う「京セラフィロソフィ」の根幹には、いわゆる「利他の心」といった心の在り方に焦点を当てた哲学があります。こちらは表現も含めて変える必要はありません。

 一方、「誰にも負けない努力をする」といった行動に関するものは、本質となる考えを伝えるために表現を少し考えなければなりません。

 私が入社した40年ほど前は、がむしゃらに働くのがよしとされていました。事務も製造も手作業が主でしたから、ある程度、時間とアウトプットが比例していました。しかし、今は工場でロボット化が進み、事務はコンピューターでやる時代です。時間とアウトプットは比例しません。やはり集中してどれだけの成果を出すかということです。それに、夜も寝ずに仕事をしろなどと言えばブラック企業になってしまう。

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