コロナ禍により日本を代表する老舗ホテルも客室稼働率1割にまで追い込まれた。危機をばねに始めるサービスアパートメントは上々の滑り出し。次の収益事業に知恵を絞る。強い逆風にあらがい、生き残るための取り組みを聞いた。
(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)
PROFILE
定保英弥[さだやす・ひでや]氏
1984年学習院大学経済学部卒業、帝国ホテル入社。宴会部、営業部、ロサンゼルス案内所、宿泊部などの現場を経験した後、営業部長。2009年に第12代東京総支配人に就任。東日本大震災の発生時には周辺の帰宅困難者を館内に受け入れるなど、現場の指揮を執った。13年に社長就任。
2回目の緊急事態宣言が発令されています。足元の状況はいかがですか。
これだけ長期間、お客様に来ていただけないのは経験したことがありません。昨年4月から9月の客室稼働率は1割に届きませんでした。10月からGo To トラベルキャンペーンに東京が含まれるようになり、3割くらいの稼働率まで戻りました。そこから年末にかけて感染者が増え、1月の稼働率は1割台。2月も1割に届いていない状況です。
宴会も昨年4月から12月までは前年比7割程度の減収でした。密を避けるためというのは分かっていますが、しんどい状況が続いています。
ただ、おかげさまで総菜や冷凍食品、菓子といった外販事業が絶好調です。客室、宴会をカバーするには至りませんが、将来を見据え強化していきたい。
仮に今の状態が続いた場合、資金繰りに懸念はないですか。
おかげさまで大丈夫だと思います。ほかの会社と違って店舗をそんなに増やさず、東京、大阪と長野県の上高地の3店舗で安定経営を心がけてきました。なぜ積極的に出ていかないのかという意見もありましたが、手元資金も保守的に手当てしてきたおかげで、この難局に立ち向かう体力が続いている。帝国ホテルタワーの一部を店舗やオフィス用として貸し出す不動産事業も財務基盤を支えています。
かわいい子ほど旅をさせる
3店舗では規模の面で不利では。外資は一括したシステムで顧客管理やマーケティングの効率を上げています。
うちはシステムは独自で作っていました。でも今は宿泊関係のシステムも非常にシンプルで、購入してカスタマイズできる仕組みがいろいろありますので、あまり大きな負担にはならなくなってきました。
技術革新で規模を追う必要はなくなっているということですか。
そうですね。そこにメリットをあまり感じません。外資と組むとコストもかかり、独自のサービスを維持向上することに難しさが出てきます。
ほかのホテルは人員削減などリストラに踏み切っています。契約社員の雇い止めなどはしていないのですか。
雇い止めはしていません。ホテルのサービスをこれからきっちり提供していけるようにするためにも、何としてでも雇用を維持していきたいと思っています。社員には状況に応じて交代で休みをとってもらい、雇用調整助成金を活用するなどしています。
今までのやり方を見直すいい機会と捉え、営業、管理部門を問わず、仕事の進め方をゼロベースで見直しています。レストランの担当者が1カ月間、宴会をやってみるなど、新しい知見を得られるような研修をしています。
ほかの企業、ホテル、旅館に出向し、1、2年から数年、外の空気を吸ってくる仕組みも作りました。人件費を抑制するという面もありますが、外で得た経験をまたうちで生かしてもらいたい。多くの反応を頂いています。関西地区のお菓子屋さんは、うちのペストリーの担当者を派遣してほしいと。最初のステップとしては全体で40人から50人程度に出向してもらうことになりそうです。
長期滞在者向けのサービスアパートメントも発表しました。
2月1日に販売を始め、即日完売しました。当日に1000件を超えるお問い合わせを頂き、これほどの反応があるとは想定していませんでした。次なる手を考えようと思っています。
客室を使い、食事など定額制サービスが付随したサービスアパートメントの事業を3月に始める
コロナを機に着想したのですか。
米国の五つ星ホテルなどで隣にアパートを備えていることがあるんです。少し前から将来やりたいと思っていました。帝国ホテルに住む、銀座に住むというライフスタイルの提案は将来につながるものだと思っています。企業のBCP(事業継続計画)の観点から、都心に部屋を確保する需要もあると思います。コロナを機に担当チームがわっとまとめてスピーディーにできました。
コロナが新たな挑戦へと背中を押している面がある。
そうですね。帝国ホテルのイメージは保守的で固くてというところがあるかもしれない。変えるべきものと守らなければならないものの選別は難しいと思いますが、挑戦をしていかなければいけない。東京料理長が70歳の田中健一郎から40歳の杉本雄に代わったことも一つの挑戦です。若いだけに彼にはいろんなことにチャレンジする力がある。帝国ホテルを辞めて13年間フランスなどで働き、また戻りたいと。2年間シェフをして、料理長になりました。SDGs(持続可能な開発目標)、フードロスに対する意識も非常に高い。今後20年、30年近くは調理は心配ないと思うぐらい期待しています。
あとは去年5月、全従業員にメールで何とか乗り越えよう、雇用を守るから頑張ろうと声をかけると同時に、感染防止の対策、サービスを提案してほしいと呼び掛け、5600件の返信がありました。全部目を通し、その中から、密にならない新しいバイキングなどの提案をしました。ここからサービスアパートメントに続くものに取り組みたい。
オークラ、パレスを横目に
帝国ホテルにとってホテル事業とは何なのでしょうか。不動産活用の延長でホテル事業を手掛ける企業もあります。
帝国ホテルはもともとがホテル業です。欧米列強と伍(ご)し、不平等条約を改正する流れのなかで大事なお客様をお迎えする西洋式の本格的なホテルが必要だということで誕生しました。
生みの親で初代会長の渋沢栄一翁は「用命があれば世界のどんなものでも調達して便宜を図る。これが帝国ホテルの役割と心得だ」と言っています。130年間サービス向上に取り組んだ結果、信頼を得て顧客満足につながっている。この責任感が我々の役割だと思います。
2019年に京都の弥栄会館を改修して新ホテルを開業すると発表しました。コロナ下でも計画通り進めるのですか。
正式決定の段階には至っていませんが、準備は進めています。スケジュールが遅れる可能性もありますが、念願の京都ですから。海外のみならず国内のお客様にも京都のブランドは絶対的なポテンシャルがある。そのど真ん中の祇園でホテル事業ができる。こんなチャンスはないと思っています。
京都の魅力向上に少しでも貢献したい。長期的な視野に立って、あの地でしっかりやっていこうと。
大阪の店舗の立地はちょっと厳しかった気がします。
大阪は東京と立地条件が違い苦労したかもしれません。利用していただけるようになるには時間がかかりました。
ホテルにとって、1にロケーション、2にロケーション、3、4がなくて5にロケーションというくらい場所は大事です。東京の本館は国の土地ですが、ここを与えてもらったというのは大きい。
帝国ホテルの筆頭株主である三井不動産は日比谷一帯を開発したいとしています。帝国ホテルはどうなるのですか。
ライバルとしてともに頑張ってきたホテルオークラが新しく生まれ変わり、パレスホテルもその少し前にまるっきり姿、戦略が変わりました。帝国ホテルの本館は50年、タワーも40年近くたっていますから、近い将来、建て替えを検討しなければならない時期が来ると思います。三井不動産がうちの筆頭株主になり、このエリア一帯の再開発をする流れに乗って新しく生まれ変わるというのは当然発想としては出てくる。それに向けて勉強しています。
発表はしていないが、検討はしていると。
その通りですね。
地域一帯の開発だと場所が微妙に変わってしまう可能性もあるのでは。
将来的に場所が変わるということはないです。建て替えるとしても、我々はかじりついてでも、この場所に帝国ホテル本館を建てる。これはもう誰が何とおっしゃっても、ここでしっかり。高いビルを建てて上だけ客室というのも考えていません。ホテル棟をしっかり造る。後ろのタワーは分かりませんよ。もっと大きなタワーにして客室を乗っけるとか、サービスアパートメントにするとか、それはあるかもしれません。歴史ある本館については本拠地としてホテルらしい姿にします。
いつくらいまでに建て替えを決めるイメージですか。
分かりません。
そんなに時間はかけられない。
そうでしょうね。こだわりをもって生まれ変わりたいですね。ホテル屋としての矜持(きょうじ)がありますから。
独立系として今までの道を歩む
三井不動産との関係はどうですか。33.2%の株を持っていますが、経営に注文をされることは。
それはないですね。この街区の将来の開発ではデベロッパーである三井不動産がリーダーとなり我々も連携を取りながら、できることはやっていきたい。帝国ホテルが誕生したとき、明治政府が筆頭株主で三井、三菱が出資者でした。原点に戻ったとも言えます。
三井不動産はもっとお金を出し、グループに入れたいと思ってもおかしくなさそうです。
どうなんでしょう。今のところそんな話はありません。サーベラスや国際興業のもとで大変な局面だった07年、三井不動産さんが出資してくださり、大変ありがたく思っています。我々は独立系ホテルとして今までの道をちゃんと歩んでいく。そのための多大なサポートを頂くということですから。三井不動産のホテル事業で我々ができるサポートは一生懸命やりたい。
定保さんは東日本大震災のとき、帝国ホテル東京の総支配人で現場の指揮に当たっていました。危機下のリーダーは何が大事だと思いますか。
現場の声をきちんと聞くということでしょうか。あとは、渋沢初代会長も言っていましたが、逆境のときこそ力を尽くす。要は考えるより行動だと。東日本大震災のときは従業員が率先して、毛布やペットボトルを提供していた。こちらが指示するまでもなく、行動する姿は心強いと思いました。
これほどの危機です。経営トップとして不安を感じることもあるのでは。
なるべく明るく元気よく。やっていくぞという姿勢を見せる。何とか乗り越えていこうよというムードになっていますから。今も楽観的というか、前向きに状況を捉えています。
かじりついてでも、この場所に帝国ホテル本館を建てる。明るく、元気よく。やっていくぞという姿勢を示す。(写真=陶山 勉)
傍白
帝国ホテルは2つの難問に直面しています。一つは言うまでもなく新型コロナによる宿泊者の減少。大変な苦境にはありますが、現状が続いたとしても1年以上は持ちこたえられる蓄えがあります。「帝国」ブランドのホテルは東京、大阪、上高地の3カ所。いたずらに規模を追わなかったことが危機への備えとして蓄積されていたようです。
もう一つの難問は東京本館の建て替え。場所は日比谷公園入り口目の前の最高のロケーション。少しでもズレるとブランドイメージにも影響しそうです。同じ場所なら、コロナで体力が奪われたうえでの建て替え中をどうしのぐかは課題。周辺の再開発をリードする筆頭株主、三井不動産との調整も必要。歴史を左右する節目を迎えています。
日経ビジネス2021年3月1日号 62~65ページより
目次
この記事はシリーズ「インタビュー」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?