日産自動車と仏ルノー、三菱グループとの関係など、難しいかじ取りを迫られている。故・益子修元会長から2019年にトップの座を引き継ぎ、改革を進める。人員削減にも着手。収益だけでなく「らしさを取り戻す」と言う。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=陶山 勉)
(写真=陶山 勉)
PROFILE

加藤 隆雄[かとう・たかお]氏
1962年三重県津市生まれ。84年京都大学工学部物理工学科を卒業、同年4月三菱自動車入社。名古屋製作所海外技術部に配属されたのち、92年に米国赴任。ロシアで2010年に稼働を始めたプジョーシトロエングループとの合弁工場の立ち上げに携わる。15年にインドネシアの生産合弁会社の社長に就任し、同国の看板車種「エクスパンダー」をヒットさせた。19年から現職。プライベートの楽しみは娘とお酒を飲むこと。

先日、益子修・前会長が大変残念なことに亡くなられました。加藤さんにとって、どのような経営者だったのでしょうか。

 私が初めて益子さんに会ったのは、2004年に岡崎工場(愛知県岡崎市)の閉鎖が持ち上がったときです。当時、私は現場で溶接ラインの課長で、益子さんに直訴したことがありました。「工場の将来をお願いします」と。

 当時は雲の上のような存在でしたが、我々からすると新しい指導者が来たという期待感がありました。益子さんは厳しいときは厳しいのですが、コミュニケーションは非常に大切にされていて、人に対するケアとか面倒見の良さは素晴らしかった。

 (00年に発覚した)リコール隠し問題の時から、危機が何度もあるなか、何とか乗り越えることができたのは益子さんの力によるところが非常に大きいですね。本当に、偉大な経営者だったなと思います。私はまだ及ばないですね。

昨年からCEO(最高経営責任者)に就任しました。外部環境が大きく変わり大変な時期に入っていますが、足元の業績をどう見ていますか。

 こういう言葉がいいのか分からないですけど、「経営危機」という状態には変わりないですね。やるべきことは明確なので、ひたすらやるだけです。

迷うことがない、と。

 ないですね。

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