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米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏とともに、日本のパソコン産業の黎明期を支えた。だが、マイクロソフトからも自身が創業したアスキーからも追われ、教育の道へ。コンピューター産業の育成に、“オタク”が集う大学の設立構想を描く。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=吉成 大輔)
PROFILE

西 和彦[にし・かずひこ]氏
1956年2月、神戸市須磨区生まれ。中学でアマチュア無線に熱中し、エンジニアに憧れる。早稲田大学理工学部在学中の1977年にアスキー出版を創業。79年米マイクロソフト副社長に。85年マイクロソフト退社、87年アスキー社長。89年アスキーを上場させる。98年経営悪化の責任を取り社長を辞任。2001年すべての役職を退く。その後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)や須磨学園、尚美学園大学などで教育に関わり、17年から東京大学IoTメディアラボラトリー ディレクター。

西さんは、黎明(れいめい)期のパソコンに目をつけて1977年にアスキー出版というコンピューター雑誌の出版会社を創業しました。翌年には米マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏と手を組み、79年にはマイクロソフト本社の副社長に就任しています。当時はまだ20代前半。ITベンチャーの先駆け的存在でした。

 その後はマイクロソフトもアスキーも追われ、大学を転々として今は東京大学でIoT(モノのインターネット)の研究をしています。波瀾(はらん)万丈ですね。

 ジェットコースターのような人生です。60歳を過ぎ何のために生きてきたかと振り返ってみると、マイクロソフトでもアスキーでも大学のような会社をつくりたかったんだなと思います。

 僕は早稲田大学理工学部で勉強したのですが、一生懸命リポートを書いても評価されず、悔しかった記憶があります。何十年も続く書き方の決まりごとがあり、過去のリポートをまねて書いた人がA+評価をもらう。僕みたいに独自に考える人はB-しかもらえない。今で言う「アカハラ」みたいなもので楽しくないし、クリエーティブなものを教えてもらう雰囲気じゃなかった。

 米国のマイクロソフトは違いました。開発スタイルが自由で、クリエーティブだった。僕が憧れていた本来の大学が持っているはずの自由がありました。それで、いいなと思ったわけです。だから65歳で東大を定年になったら、「会社のような大学」をつくりたいと構想を膨らませています。

日経ビジネス2020年2月24日号 86~89ページより目次