環境汚染の研究者から東大合格者数日本一の母校、開成中学校・高等学校の校長に転じた。前職のハーバード大学では「ベストティーチャー」にも選出されている。国際競争力の低下が懸念される日本で、どのような人材を育てるべきかを聞いた。

(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

(写真=吉成 大輔)
PROFILE

柳沢 幸雄[やなぎさわ・ゆきお]氏
1947年生まれ。開成中学校・高等学校出身。71年、東京大学工学部化学工学科を卒業、日本ユニバック(現・日本ユニシス)に入社。その後、東京大学大学院で環境汚染の研究に従事。81年、東大大学院工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。ハーバード大学公衆衛生大学院准教授・併任教授、東大大学院教授を経て2011年から現職。東大名誉教授。工学博士。

東京大学工学部を卒業後、日本ユニバック(現・日本ユニシス)に入社し、その後に研究者を目指しています。なぜそういうルートを選んだのでしょうか。

 東大に入学した1967年は東大闘争の真っただ中でした。教養課程の駒場から専門課程の本郷に移るのは3年生の4月ですが、ストライキの影響で12月になりました。研究に興味はあったのですが、知識を増やす勉強をしておらず研究者になれないなと思いました。

 コンピューター会社には2年9カ月いましたが、あんな面白い世界はなかった。黎明期で技術者として非常に興味があり、社会人として自分に何ができるのかも試してみたかった。プログラムを開発し、月に200時間残業していました。

 そうしているうちに百貨店で開いていた写真展で水俣病の写真を見たんです。「これが私のやる仕事だ」と思いました。私の専攻は化学系で、学士の卒論でも廃水処理の研究をしていたので、公害問題を解くのは使命だろうと。

 東大大学院では大気汚染の研究をしましたが、博士号を取ったのにどこも雇ってくれない。国際学会を渡り歩いて仕事を探しました。大の苦手の英語を使わなければ飯が食えない。切羽詰まればばか力が出るもので、米ハーバード大学に職を得ました。英語がたどたどしいので、論理構成が極めて明確になるよう授業を一生懸命組み立てたんです。留学生でも理解できるように。

そこが学生に評価されてベストティーチャーに選ばれたのですか。(笑)

 そうです。とにかく論理の流れを分かりやすくしました。発音があまり通じないからね。(笑)

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