前回までのあらすじ

 大手流通グループ、アーリーバード&エフ・ホールディングスの名誉会長、藤田俊雄は週刊誌記者の北見真一から、後継者問題で直撃取材を受ける。グループでは、強いリーダーシップで会社を牽引してきた大木将史が、80歳を超えてなお経営に情熱を燃やし、実権を握っていたが、社内では、祖業であるスーパーマーケット、フジタヨーシュウ堂の不振もあり、体制刷新を求める声も上がっていた。

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 北見は、俊雄と将史への突撃的な取材を終えて、カリスマの意味を考えていた。

 俊雄も将史もカリスマと言われている。俊雄は最後の大商人、将史はコンビニのカリスマだ。流通業は、多くのカリスマを生み出してきた。今や消えてしまったが、スーパーサカエの仲村力也やセイヨーの大館誠一もカリスマだった。

 カリスマとは普通の人たちが持ちえない力や特質をもって人々を導き、危機や困難を克服してくれる人物だと言えるだろう。

 ──私たちはいつもカリスマを求める。

 人々は、ある人物を信頼し、従属するという対価を支払う。彼はそれに対する対価として人々に豊かさ、安全、幸福などの報酬を与える。

 人々が彼に支払う対価で最大のものは信頼だ。それは強制されたものではない。彼が成功という実績で示したからだ。彼が持つ特質を自発的に認めたからだ。こうして彼は人々の上にカリスマとしての権威を得て君臨することができる。

 ──私たちは絶えずカリスマを消費する。

 カリスマは、その時々の時代の要請のようにして誕生する。ところが彼は何かをきっかけに消えてしまう。そして人々は彼のことを記憶のかなたに押しやり、再び、新たなカリスマを求める。その様相は、まるでカリスマを消費しているようだ。

 ではどのような状態になれば彼はカリスマとしての権威を失うのか。それは彼をカリスマとして権威を与える最大の基盤である人々の信頼を失うときだ。人々は決して強制されることなく自発的に彼をカリスマとして信頼し、その権威を認めてきた。

 ところがそれは時間と共に日常化、ある意味で消費されやすいコモディティ化してしまう。ありていに言えば、当たり前になり、飽きてくるのだ。これをカリスマの日常化の罠に落ちた状態だという研究者もいる。

 人々はもっともっとと報酬を要求するようになる。パンだけでは満足せず、サーカスも欲しいというのだ。