ウイスキー大国、インド。2014年に飲料事業から撤退したサントリーは、同国に再挑戦している。インド市場専用ウイスキー「オークスミス」を開発し、発売3年で累計販売数は200万ケースに迫る。現地で根付き始めた「やってみなはれ」の精神。好調の要因と、謎多きインドのお酒事情を探った。
「ここ2カ月でサントリー・ウイスキーの『季(TOKI)』が2400本も売れているんだよ!」──。
人の熱気に包まれた市街地に立つ酒販店の店主は、興奮気味に記者に語ってくれた。ここはインド北部、首都ニューデリー近郊のハリヤナ州グルグラム。酒販店には20~30歳代の若い客も多かった。インドの大卒の初任給は約2~3万ルピー(約3万6000~5万4000円)といわれる。しかし、店内では3000ルピー(約5400円)前後のウイスキー、季やジンの「ROKU(六)」が続々と売れていく。実はインド、世界最大のウイスキー消費国なのだ。サントリーホールディングス(HD)は、このウイスキー大国を攻略すべく、「やってみなはれ」の精神で文化も習慣も異なる市場の開拓に挑んでいる。
市場規模は「日本の10倍」
市場調査会社の英IWSRによれば2021年のインド国内のウイスキー販売数量は2億1600万ケース(1ケース当たり9リットル換算)、2位の米国(8200万ケース)の3倍弱、日本(2000万ケース)の約10倍の市場規模を持つ。市場は今後も拡大が見込まれ、21年から26年にかけては年平均成長率4.2%と予測されている。
成長期待が高い一方、インドは酒に関する規制やルールが複雑だ。まず、酒を入手できる場所が州政府からライセンスを交付された酒販店と飲食店に限られる。もっとも約14億人の人口に対して酒類取扱店は約7万5000店舗。この点では全国に5万店舗以上のコンビニでいつでも酒が買える日本とは大きく状況が異なる。
加えて、屋外では酒に関する広告は原則禁止だ。しかし、ウイスキーと極めて類似したロゴのミネラルウオーターは販売できる。こうした戦略でブランドの認知度を高めるマーケティングが目立つ。店内ではブランドごとに棚を明確に分類。ブランドの世界観を訴求する陳列が一般的だ。その販売手法は、日本の百貨店の化粧品売り場とよく似ている。
これは当地の宗教や文化と大きな関わりがある。インドの人口の約8割を占めるヒンズー教では飲酒は5大罪の一つとされており、飲酒に不寛容な風潮は根強い。インドの飲酒人口は約1.6億人とされているが、そのうち9割以上は男性だ。酒を飲んではいけない「禁酒日」や、飲酒そのものを禁じている「禁酒州」もある。州ごとに酒税の税率は異なっており、規制も違う。そのためか、地域によっては酒の価格が1.5~2倍ほど変わることもある。例えば、デリーの酒販店に比べると、ムンバイでは「季」の価格が倍以上になるのだ。
「酒類販売のライセンスは州政府によって管理されるが、年に1度の更新がうまくいかず、営業できないお店があったり、州政府が短い期間でルールをひっくり返したりと複雑な事情がある」。インドの消費市場に詳しいインフォブリッジマーケティング&プロモーションズの繁田奈歩代表は、その難しさを語る。
10年前の苦い失敗
サントリーがインド市場へ進出するのは2度目だ。かつて、この巨大市場に挑んだ経験がある。
サントリーは10年前の12年5月、インドでの清涼飲料事業を始めることを発表した。現地の食品・飲料企業のナラン・グループと合弁会社をつくり、インド市場向けの「オランジーナ」を13年2月に発売。だが、販売数量は計画の5割にも達することができず、飲料事業はわずか10カ月で撤退が決定。すでに市場を寡占していた大手の牙城を崩すことができず、十分に市場に商品を流通させられなかった。他ブランドの展開も計画していたが、いずれも頓挫した。
当時、日本人として事業の中心にいたのが浦上隆志・現ビームサントリーインディア・シニアイノベーションマネジャーだ。「絶対にまたインドに戻ってくる」。そう決意して、浦上氏は日本へ帰国。15年には社内で「インド事業の失敗分析」として振り返りのインタビューを受けている。
失敗の原因は、市場理解やリスクに対する意識の低さにあった。自身を振り返ると、合弁先にもサントリーにも、甘えがあったと気づいた。「向こうは営業先を広げてくれない、サントリーは商品を出さない、お互いに『もっと頑張れよ』と他責の傾向に陥ってしまっていた」(浦上氏)。
再起の念を持ち続けた浦上氏だったがその機会は意外と早くやってきた。17年末、ビームを買収した後のサントリーが今度はウイスキーでインドへの本格進出を計画し始めたのだ。当時、サントリーHDの経営企画部にいた浦上氏は中心メンバーの一人となって、10年先を見据えたインド進出の計画策定に着手した。
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