7年8カ月に及ぶ第2次政権下で安倍晋三元首相が主導した「アベノミクス」。デフレや超円高から転換するきっかけとなったが、構造改革の遅れといった課題も残る。その軌跡を振り返ることで、これから日本が取り組むべきことを考える。

(写真=左:AP/アフロ、中央:AFP/アフロ、右:AP/アフロ)
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 安倍晋三元首相の死去を受け驚きと悲しみに包まれる中、与党自民党は参院選を圧勝した。岸田文雄首相が今後の政権運営で決めなければならないのが、安倍氏が第2次政権下で主導した経済・財政政策「アベノミクス」との向き合い方だ。

 デフレおよび円高という二重苦から抜け出せなかった日本経済を転換させるきっかけとなったアベノミクス。だが、7年8カ月に及んだ第2次安倍政権下でその中身は次第に変質し、軌道修正が求められている。

 「大きな政策の実行には時間がかかる。まずは目に見える実績を積み重ね、政権を安定させる」。安倍氏が周囲に何度も語っていた言葉だ。

「目に見える実績」を優先

 1990年代のバブル崩壊以降、日本企業は産業構造の転換や新規事業の創出に踏み出せずにいた。2001年発足の小泉純一郎政権は、企業の成長を促す規制緩和や官から民への権限移譲といった構造改革を政治主導で進め、産業の効率化や新陳代謝を加速させようとした。

 安倍元首相は小泉元首相の側近としてこうした構造改革の重要性をよく理解していた。だが、構造改革の実行は時間を要するだけに、安定した政権基盤がないと取り組めない。まず「目に見える実績」を出し、国民の信頼を得るのが必要不可欠だった。

 そこで安倍元首相が頼ったのが金融政策、財政政策だった。これらと「成長戦略」と名を変えた構造改革を組み合わせたのが「大胆な金融緩和(第1の矢)」「機動的な財政出動(第2の矢)」「民間投資を促す成長戦略(第3の矢)」を柱とするアベノミクスである。

 デフレスパイラルから抜け出すべく、日本銀行が大量の国債購入を通じて市場に資金をばらまき、金利を下げてお金を借りやすくする。低金利で経済活動が活性化すれば期待インフレ率が高まり、最終的に物価上昇につながると考えた。

 第1の矢の効果を確かなものとするために、先の民主党政権が力を入れた公共事業削減に歯止めをかけ、景気浮揚に向けた財政出動も実施した。第1の矢、第2の矢で経済を上向かせ、その間に産業構造の変革や経済成長を阻む規制の抜本改革に着手し、持続的な経済成長への道筋をつける──。これがシナリオだった。

 出だしの効果は絶大だった。日経平均株価はアベノミクス開始後の1年間で約6割上昇。円相場も1ドル=85円から1ドル=105円まで円安が進んだ。輸出や設備投資の増加は内需産業をも刺激し、消費は上向き始めた。

(写真=つのだよしお/アフロ)
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