
資金繰りに窮し、告発から約10カ月後に休業に追い込まれた。大企業に歯向かったことへの見せしめだと感じたが、圧力には屈しない。JR大阪駅前の陸橋で座り込みをし、支援を募った。その輪が広がり、04年には営業を再開したが、14年に再び休業。借金は13億円に膨らんだ。

私生活でも思わぬ事態が襲いかかった。真麻さんが17歳のとき、自宅マンション14階から飛び降りた。命は助かったが、脇から下が動かなくなり、今も車椅子生活を余儀なくされている。当時、真麻さんは中高一貫の私立中学校に通い、バレーボールに打ち込んでいた。だが告発後、一家の生活が困窮し進学を諦めた。真麻さんは公立高校に進学したが、不良仲間とつるむようになり精神安定剤を大量に服用していた。水谷さんは「多感なときにもっと寄り添っていたら事故は防げたかもしれない。父親としては失格だった」と悔やむ。
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