この記事は日経ビジネス電子版に『パラ陸上のパイオニア山本篤選手「義足で五輪記録を超える」時代へ』(9月29日)、『意のままに動く「第3の腕」を求めて』(9月30日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』10月4日号に掲載するものです。

パラリンピアンが五輪選手の記録を超え始めた。後押しするのは「人間拡張」技術だ。失った機能を補完するだけでなく、「ヒト」の能力を向上させる原動力にもなっている。倫理的な問題もはらむが、科学技術に新たなパラダイムシフトを起こすのか。

 8月28日、国立競技場で開かれた東京パラリンピックの男子走り幅跳び。「くの字」形に湾曲した義足を左足に装着し、山本篤選手が走り始めた。徐々にスピードを上げて踏み切り、宙を舞う。記録は6m75cm。惜しくもメダルには届かなかったが、自身の持つ日本記録を5cm更新する大ジャンプだった。

進化する義足で記録を塗り替える
<span class="fontSizeL">進化する義足で記録を塗り替える</span>
東京パラリンピックの男子走り幅跳びに出場した、陸上選手の山本篤氏。バイクの事故がきっかけで片足を切断した。義足を装着して競技に挑み、自身の日本記録を更新した(写真=毎日新聞社/アフロ)

 山本選手は17歳のとき、バイクの事故がきっかけで左足を切断した。高校を卒業して義肢装具士の専門学校へ進み、陸上競技用義足に出合った。歩行用義足にある「かかと」がなく、走るために作られており想像以上に軽い。

 「日常の義足では得られない感覚だった。陸上用義足を履いたら、もっと速く走れるとワクワクした」(山本選手)。思いが募り、大阪体育大学に進学。陸上部へ入部し、パラアスリートとしての生活がスタートした。

 夏冬合わせて5大会のパラリンピックに出場している山本選手は、「4年ごとに義足は大きく進化している」という。昨今のブレードはカーボン素材を用いて「くの字」部分のカーブを深く大きくしながらも、軽さを維持する。踏み切り時に義足に体重を乗せる時間を増やして力を蓄え、反発力を高められるようにした。

<span class="fontBold">義足を装着する山本篤氏(左)は、スポーツ用義足の着け心地を専門家と話し合い、機能を高め続ける(右)</span>(写真=右:Bloomberg/Getty Images)
義足を装着する山本篤氏(左)は、スポーツ用義足の着け心地を専門家と話し合い、機能を高め続ける(右)(写真=右:Bloomberg/Getty Images)

 「2012年のロンドン大会で使っていた義足の反発力が100なら、現時点では150ぐらいだろう」と山本選手は話す。16年のリオデジャネイロ大会では6m62cmの跳躍で銀メダルを獲得し、東京大会ではその記録をさらに更新した。

 東京大会の男子走り幅跳びで3連覇を果たした、ドイツのマルクス・レーム選手。21年6月の欧州選手権で8m62cmを記録しており、これは東京五輪の金メダル記録を21cm上回る。結局かなわなかったが、レーム選手は特例での東京五輪出場を求めていたことでも話題を呼んだ。

 義肢はこれまで、失われた身体部位や機能を補完する目的で用いられてきた。東京大会で多くの選手に機器などを提供した、独オットーボックの創業は1919年。第1次世界大戦で負傷した兵士向けに義足の開発に乗り出したのがきっかけだった。

眼鏡や補聴器も拡張の一種

 それから1世紀。技術の進展で義肢の位置づけが変わり始めた。「オリンピック選手から、義足を使えるパラリンピアンは『ずるい』と言われるようになった」。山本選手はこう話す。

 道具を使って人間の身体や認知の能力を補完したり、向上させたりする「人間拡張」の動きが加速している。義足はそのルーツの一つ。装着することで視力を向上させる眼鏡や、老化などによる機能低下を補う補聴器の活用も人間拡張の一種である。こうした道具なしには、多くの人が生活の質を維持できない。

 山本選手やレーム選手の活躍が投げかけるのは、人間拡張が「新たなステージ」に入ったという事実だ。機械工学や情報システムなどのテクノロジーを用いれば、過去の常識の及ばない範囲で、人間の運動機能や感覚を拡張できる時代を迎えている。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所などを経て、現在は東京大学大学院で情報工学などを研究する暦本純一教授は、人間拡張には4つの方向性があると指摘する。

 1つ目は義足や眼鏡、ウエアラブル機器などによる「身体拡張」だ。主に運動能力など肉体機能を高める。2つ目はVR(仮想現実)技術などを用いた「知覚拡張」。五感に働きかけ、遠方でも臨場感を得られるようにするといった使い方だ。3つ目はAI(人工知能)と人間が融合し、知識を獲得する「知能拡張」。最後はロボットが自分の分身となり、代わりにコミュニケーションを取る「存在拡張」だ。

人間拡張の可能性は広がっている
●人間拡張の歩み
<span class="fontSizeL">人間拡張の可能性は広がっている</span><br><span class="fontSizeS">●人間拡張の歩み</span>
(イラスト=人間の存在が拡張:jemastock/Getty Images、写真:脳とAIが融合:PIXTA)
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 調査会社のシード・プランニング(東京・文京)によれば、義足などの身体拡張の国内市場は2025年に183億円ほどだが、知覚拡張は8600億円、存在拡張は1500億円規模にまで成長する見通しだ。トータルの国内市場規模は20年比で6割程度増える計算だ。人間拡張の世界市場規模は24年に約23兆円に成長するという、米調査会社の予測もある。急速に拡大する市場に向けて、多くの企業や大学の研究開発が熱を帯び始めた。

続きを読む 2/3 センサー内蔵義足で転倒防止

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