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英語の民間試験や数学・国語の記述式の導入が延期された大学入試改革。迷走が続けば、本来の目的である教育改革自体が停滞する可能性がある。危機感を募らす中等教育の論客2人が、「なんでも平等」を求める風潮に異を唱える。

(写真=的野 弘路)

柳沢幸雄氏(開成中学校・高等学校校長、以下、柳沢氏):私は今回の大学入試改革には総論は大賛成です。外国語では4技能(読む・聞く・書く・話す)、国語や数学では記述式問題を重視しようという方向性は非常に正しい。しかし、試験の技術論、各論でもたもたしている。私に言わせれば、この30年間、日本が足踏みしている象徴的な出来事です。

 なぜかというと総論に賛成か、反対かを明示しないで、各論の技術論のところで、「こういう場合は困るでしょう?」「このお金はどうするんですか?」と、細かいところで反論し、つぶそうとする。

小林りん氏(ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事、以下、小林氏):私は、英語の民間試験を導入するにあたって、「完全な平等性」が実現可能であるかのように論じる意見を疑問に思います。もちろん、平等性に対する配慮の必要性は大いにありますが、従来のセンター試験でも試験場は700カ所ほど。それでも全ての人から同じ距離にあるわけではありませんし、試験料も1万8000円(3教科以上受験の場合)と決して安くはありません。どこまでが「平等」でどこからがそうではないのでしょうか。

柳沢氏:そのような議論は、本当に“ためにする議論”だとしか思えません。例えば東京大学の入学試験は東京でしかやりません。そのことを誰も疑問に思いませんよね。一方、一部の地方大学は東京で試験を実施します。そこを問題視したら、東京の人はこんなに有利でいいのかという話になります。

 今回の議論では、反対する人が言う「殺し文句」には多くの人が黙ってしまいます。「平等性」や「優しさ」といった言葉です。これらの言葉には、誰も正面切って反対できません。だけど、同時に考えなければならないのは、平等性や優しさを維持するにはコストがかかるということです。

小林氏:「完全な平等」を目指したときの代償は何かという話だと思います。そもそも大学入試改革が始まるときに多くの方が問題視していた、従来型の1点刻み、一発勝負で全てが決まってしまう試験を続けていいのでしょうか。

「入り口主義」のバカバカしさ

柳沢氏:そこには、「入り口主義」か「出口主義」か、という問題があると思います。入り口で1点刻みの試験をして、それで全てを決めようというのは、日本の社会が非常に好むやり方です。受験生は番号で管理され、定員に合わせて、ある点数以下の人を機械的に不合格にする。受験生の顔が見えないから、落とす側は痛みを感じません。一方、大学で卒業論文を書かせて、この論文では駄目だから留年しなさいと言うのは、その権限を行使している人が相手の顔を見なければならず、痛みを伴います。

 大学入試改革の議論の発端では、多くの人が1点刻みの試験はバカバカしいと思っていました。少し緩めに入り口を開き、入学後にきちんと勉強した学生だけが卒業できるようにしようというのが、本来の趣旨だったはずです。

 個人的な意見としては、民間試験を活用した英語の4技能は、今後も導入を進めるべきだと思います。実は、東大の大学院の入試でTOEFLを初めて採用したのは、私が所属していた新領域創成科学研究科だったんです。

小林氏:そうだったんですか。