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日本が強みを誇ってきた化学産業に技術革新のうねりが押し寄せている。キーワードは「マテリアルズ・インフォマティクス(MI)」。情報科学の知見を取り入れ、新材料を探索する試みだ。欧米や中国も巻き込んだ開発競争が激化し、化学産業に地殻変動を起こす力を秘める。日本は強みを生かせるか。

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物質・材料研究機構のコンピューター。高速計算で、材料探索の可能性を広げる(写真=北山 宏一)

 10⽉23⽇、⽶グーグルの発表が世界を駆け巡った。最先端のスーパーコンピューターで約1万年かかる複雑な問題をわずか3分20秒で解いたとする内容だ。超⾼速処理を実現したのは、原⼦や電⼦といった⼩さな粒⼦の世界で起こる現象を利⽤する量⼦コンピューター。従来のコンピューターでは困難な問題を瞬く間に解く「量⼦超越」を達成したことを意味する。

 この成果に材料研究者が期待を膨らませている。これまで人の勘に頼りながら実験と試作を繰り返して生み出してきた新素材が、量子コンピューターによって瞬時に作り出せる可能性があるからだ。国立研究開発法人、物質・材料研究機構(NIMS)で統合型材料開発・情報基盤部門副部門長を務める出村雅彦氏は「今回の成果は材料開発を飛躍的に効率化できる」と語る。

 もちろん、今回、グーグルが解いた問題は乱数が作る計算問題で、新素材を割り出せるようになるにはまだまだ時間がかかる。それでも研究者が期待するのは、量子コンピューターを材料開発の新たな「道具」にするだけのスキルを備え始めているからだ。

 それが「マテリアルズ・インフォマティクス(MI)」。化学領域にIT(情報技術)の知見を取り入れ、目的とする組成や構造を素早く探る手法だ。

 もともと化学の領域では、電子や原子のふるまいをコンピューター上で再現して、物性を分析したり、新素材の開発に役立てたりしてきた。コンピューターの処理性能の向上や、AI(人工知能)の進化に伴って、より短期間で目的の新素材を得るスキルに磨きがかかる。さらに近年は膨大なデータを読み込み、そこから共通のルールやパターンを自動的に学習してAIの予測精度を上げる「機械学習」が登場、MIの活用機運が一段と高まっている。

「世界記録」の新素材も

 日本でMI研究をリードする拠点が茨城県つくば市にあるNIMSだ。冷房が効いた部屋の中には、約100台の黒いコンピューターが2m以上の高さまで積み上げられ、整然と並ぶ。青や赤、黄色など多彩な光を発していることが、超高速で計算し、材料開発の可能性を探っている証しだ。

 計算能力が1秒間に500兆回というこのコンピューターを使って、NIMSは画期的な新素材を生み出してきた。2018年7月には無機化合物を使った薄膜材料としては世界最小の熱伝導率を記録した新素材を開発した。熱伝導率が低いということは、高い断熱性能を持つことを意味する。航空機や発電プラント、電子機器など幅広い分野での利用が期待されている。

 ただし、こうした成果はあるものの、日本全体で見れば、MIへの取り組みは、海外と比べると特に進んでいるとは言い難い。

日経ビジネス2019年11月11日号 52~56ページより目次