東日本大震災後、原子力発電所の稼働が止まった。2010年代、原発炉心溶融という惨事を機に電力改革が本格化した。しかし、政府は明確な道しるべを示せず。民間は振り回されている。
「これはもう受け入れるしかない」。2012年6月16日。民主党の野田佳彦政権は、定期検査のために停止中だった関西電力大飯原子力発電所(福井県おおい町)3、4号機の再稼働を決めた。その知らせを聞いて、おおい町議会で長年原発行政に関わってきた町議の浜上雄一らは覚悟を固めるほかなかった。

前年3月の東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故で、定検に入った後の日本の原発は再稼働ができない状態にあった。原発の安全性をどのように高め、確認するかという手法を巡って議論がまとまらなかったからだ。12年5月には国内に約50基ある原発すべてが停止する事態となり、原発依存度の高い関電管内では、夏の需要期に電力不足に陥る懸念が広がっていた。
そんな中で県は大飯原発3、4号機の再稼働に同意した。地元自治体としてその方針を受け入れたおおい町議にとっては「苦渋の選択」(浜上)だった。
原発重視から再エネ育成へ
2010年代、日本の電力・エネルギー政策は袋小路に入った。きっかけは東日本大震災である。津波によって福島第1原発が炉心溶融という未曽有の大事故を起こし、その対応を巡って時の民主党政権は迷走を続けた。
11年3月の事故直後、原子力行政を担当する経済産業省の原子力安全・保安院は電力各社に緊急安全対策を指示し、経産相の海江田万里はそれが実施されれば再稼働は可能とした。ところが、首相の菅直人は対応要件を満たしている中部電力・浜岡原発(静岡県御前崎市)について、同年5月になって超長期の安全対策のためとして同社に運転停止を求めた。
閣内不統一とも取れる動きは原発への不安を増幅させ、立地自治体は不信感を募らせた。すると政府はその後、災害などによる負荷を通常より高くして原発の安全性などをシミュレーションするストレステストを実施。12年春には安全性の暫定基準も設けるなど、“泥縄式”の対応を繰り返した。
この原発事故を機に日本のエネルギー政策の方向は、大きく変わった。

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