2011年3月の東日本大震災は、製造業が抱える脆弱さを露呈した。小さな部品の途絶が自動車など産業全体の生産を止めた。災害対策により事業継続を図れるかどうかが問われる時代となった。
突然、体ごと横に持っていかれるような猛烈な揺れが襲ってきた。
2011年3月11日午後2時46分。茨城県ひたちなか市のルネサスエレクトロニクス那珂工場の会議室で、社員研修に参加していた工場長(当時)の青柳隆は慌てて長テーブルの下に身体を潜り込ませた。だが、テーブルの脚を握っても体は右へ左へ滑っていく。部屋の外からは何かがぶつかり合うような激しい音が聞こえてくる。ゴッゴッ。わずか数分の揺れが果てもなく長く感じられた。

マグニチュード9.0、最大震度7。観測史上最大の地震となった東日本大震災は、日本と日本経済に大打撃を及ぼした。岩手、宮城、福島など東北を中心に全国で死者約1万5900人、全壊した建物約12万2000戸、行方不明者はなお約2500人という未曽有の被害をもたらした(2019年6月10日の警察庁広報資料)。
震災から3日後に仙台市若林区荒浜へ入った本誌取材班は11年3月21日号の特集「3・11 日本最大の試練」で、その惨状をこう記している。
「遺体が海岸に打ち上がってくる。既に累計数百体が確認されているが、体制が整わず、遺体安置所に運び込まれるのは数十体ずつ。その間にも新たな遺体が上がってくる」
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