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職場でのパワーハラスメント行為が日本社会の新たな「闇」になりつつある。公的機関への相談件数は増え続け、精神を病む被害者も目立ち始めた。企業は無視できない状況。健全な職場環境をどう整えるのか。

その「パワハラ」は8年続き、裁判に突入した。渋谷浩樹さんは苦しさにまみれた会社生活を送る(写真=行友 重治)

 悔しくて仕方ない。一生懸命仕事をしてきたのに、どうしてこんな目に遭わないといけないのか」。5月下旬、大阪市内の喫茶店に作業着姿で現れた渋谷浩樹さん(58)は涙ながらにこう話した。

 渋谷さんの勤務先は日本を代表する自動車メーカーの孫会社。現在、勤務している会社と上司を相手どって「パワーハラスメント」などの係争中で、5月30日の第1審判決では、大阪地裁が渋谷さんの主張の一部を認めた。

 渋谷さんの会社人生は、40代半ばまで順調だった。今の会社の親会社に当たる自動車販売の関西大手に就職。「売れる営業マン」として名をはせ、2005年に高級車を専門に扱うディーラーの地域店で「マネジャー」の地位に就いた。営業業務の責任者として国内トップクラスの成績を上げ、年収は1000万円弱ほどあったという。だが、そこが頂点で、その後は10年以上にわたって下り坂が続いている。

堕ちた「営業のエース」

 企業を相手に車を販売する法人営業部のマネジャーとなったのが08年。高級車の個人営業に誇りと自信を持っていた渋谷さんは「悲しかった」と振り返るが、ここまではよくある人事異動かもしれない。だが翌年、飛び込み営業を担う部署に移ると「給与に見合う仕事ができていない」と評価され、10年には課長に降格。次第に「パワハラでは」と感じるようになる。11年に出向となると、状況はさらに悪化した。

 新たな会社で与えられた仕事はリース車の法人飛び込み営業。自動車の使用が禁止されたため、渋谷さんは自転車で走り回り、1年半で10台以上を契約した。「負けたくないのでがむしゃらにやった」というが、人事評価は高まらず、15年には係長まで落とされた。

 一連の懲戒の根拠が納得できなかったことで、渋谷さんの不信感はますます募っていった。思い返せば高級車ディーラーにいたころ、ある有力役員が決めた配置転換を断ったことがあったという。それが原因かは分からないが、社内で孤立してしまったのは確かで、渋谷さんの弁護士は裁判の「最終準備書面」に「(会社に)退職させようとする意図があった」と記した。

 渋谷さんはこの間、複数の上司から様々な暴言を浴びてきたと証言する。「アホか」「給与泥棒」「1000軒回ってこい」「何で辞めなかったんだ」「指名解雇するぞ」などで、音声記録を法廷に提出した。11年から「いつか見返してやる」と考え、録音を続けていた。上司らは渋谷さんと同じ親会社の出身で、「成績を上げさせるための叱咤(しった)激励だった」と主張した。

 与えられる仕事の分量も激しく変動した。15年6月、担当業務は11項目から22項目に倍増。同僚の手を借りることも許されない中で「全部こなした」(渋谷さん)ものの、同年10月には逆に、3項目に減らされた。この時に命じられたのが、従来は会社業務ではなかったリース車の清掃だ。トイレに行く時は上司に報告するよう指示され、社内での行動も記録されていたという。

 17年、渋谷さんは営業店舗などの改装を担う部署に異動となった。だが、その後に右肘と右膝を痛めたため、デスク業務に担当を変えてもらうように頼んだ。上司の答えは「左手でやれる。練習すればいい」。店舗での仕事をこなせない渋谷さんは今、社内の便所掃除や備品の片付けで毎日を過ごす。

 渋谷さんへの一連の対応は、上司からすると指導のつもりだったのかもしれない。第1審の判決は不当な人事評価を認定する一方、過度なパワハラ行為があったとはしなかった。渋谷さんの弁護士は「到底納得できない」と話し、控訴に向けた準備を進める。

日経ビジネス2019年6月10日号 52~56ページより目次