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1ドル=80円を割り込む超円高に見舞われた1990年代。企業は工場の生産革新と海外移転を並行させて生き残ろうとした。だが、結局利益率は海外でも低いまま。グローバル戦略は描けなかった。

 1990年秋、就任して間もない頃から進み始めた円高を前にアイワの社長、卯木肇はほくそ笑んだ。

 「またチャンスが来るぞ」

 ソニー専務から86年2月にアイワ副社長に転じるや、前年秋のプラザ合意後の円高に苦しむ他社を尻目に卯木は、ほぼ国内だったAV製品の生産をシンガポールなど海外に思い切って移した。「(為替換算を含めた)人件費など生産コストの低いところで作り、高いところで売る。経済の原則に沿って動くだけだ」。こううそぶきながら思い切った手をどんどん打った。