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1980年代は貿易摩擦の時代だった。半導体、自動車、金融……。キャッチアップする日本をたたくような圧力は今の「米国第一」に通じる。交渉力が経済と産業の強さを左右し、半導体は世界一から転落した。

 後に大蔵省(現・財務省)財務官を務める内海孚が米財務省に呼び出しを受けたのは、1983年10月6日のことだった。大蔵省から米ワシントンの日本大使館に公使として赴任して4カ月ほどたった頃。突然のことに驚きながら“予感”もあった。

 日米は70年代後半から貿易問題でぎくしゃくし続けていた。76年鉄鋼、77年カラーテレビ、81年自動車……。日本メーカーが米国市場で不当な安売りをしているとするダンピング提訴や、集中豪雨的な輸出への反発など対立は激しくなるばかり。事実上、この問題への対処が主要任務だったからだ。