産業革新の柱として、官民一体で国産汎用コンピューター開発を推進。巨人・米IBMと熾烈な闘いを繰り広げたが、大きな成果は得られず。ダウンサイジングの波にのまれ、変化への対応力にも課題を残した。
その知らせが届いた時、富士通の社内には衝撃が走った。
1982年10月、世界のコンピューター産業の巨人である米IBMが富士通製汎用コンピューターのOS(基本ソフト)の一部などが、IBMのそれをコピーし、特許を侵害していると“抗議”してきたのだ。
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