産業革新の柱として、官民一体で国産汎用コンピューター開発を推進。巨人・米IBMと熾烈な闘いを繰り広げたが、大きな成果は得られず。ダウンサイジングの波にのまれ、変化への対応力にも課題を残した。

 その知らせが届いた時、富士通の社内には衝撃が走った。

 1982年10月、世界のコンピューター産業の巨人である米IBMが富士通製汎用コンピューターのOS(基本ソフト)の一部などが、IBMのそれをコピーし、特許を侵害していると“抗議”してきたのだ。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り5230文字 / 全文5489文字

日経ビジネス電子版有料会員なら

人気コラム、特集…すべての記事が読み放題

ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「SPECIAL REPORT」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。