山口県勢として37年ぶりに夏の甲子園決勝に進んだが、仙台育英(宮城)の前に涙をのんだ。17年前、集団万引き事件を起こしたチームの立て直しを志願し、練習環境を地道に整えてきた。共同生活でコロナ禍に耐えた一体感がチームを強くしたと語り、同じ舞台での雪辱を誓う。

坂原秀尚氏
8月22日、第104回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)でチーム初の準優勝となりました。決勝戦まで勝ち上がるのは本当に難しい。一度も負けていない2校がぶつかるのですから。山口県勢の夏の甲子園決勝は、1985年にPL学園(大阪)と対戦し、「甲子園は清原(和博)のためにあるのか」と実況された宇部商以来、37年ぶりとなりました。
少し時間がたった今、やはり負けた悔しさ、勝たせてあげたかったという思いが込み上げてきます。

入学直後から主将になった山下世虎(せとら)がよくリーダーシップを発揮してくれたチームでした。このチームで公式戦をするのは8月22日が最後だと大会が始まる前から言い聞かせてきましたが、その最後まで戦うことができた。初めて参加した閉会式はさまざまな記憶がよみがえり、万感の思いでした。
万引き事件後に監督就任
私が下関国際の野球部監督になったのは17年前の夏です。実業団などを経て野球指導者を志し、教員免許を取得するために山口県内の大学に通っていたときに、近くの下関国際で野球部員による集団万引き事件がありました。監督がおらず、校長先生が自ら指導されていると聞き、「役に立てることがあれば」と学校に手紙を送ったのがきっかけで野球の指導をすることになりました。
今のような立派な設備はまだありませんでした。グラウンドは石ころだらけ。雑草が膝の丈まで伸びていました。グラウンドを整えるトンボはなく、ボールも数えるほどしかありませんでした。残った部員と練習環境を整えるところから始めました。「甲子園を目指します」と職員室であいさつすると、失笑が漏れたのを覚えています。「泥棒が野球しよるぞ」と試合中に客席からののしられたこともありました。
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