[北海道釧路市長]
蝦名大也氏
1959年釧路市生まれ。青山学院大学経済学部を中退し、鈴木宗男衆議院議員の秘書を経て釧路市議(2期)。北海道議(3期)を経て2008年11月、釧路市長に初当選した。現在4期目を務める。
日本製紙の釧路事業所は大正時代の1920年から続く歴史を持っていたが、ついに幕を閉じた。釧路市にとって経済的な打撃は大きく、人口流出も懸念している
日本製紙の釧路事業所は大正時代の1920年から続く歴史を持っていたが、ついに幕を閉じた。釧路市にとって経済的な打撃は大きく、人口流出も懸念している

 今回の日本製紙による工場撤退は本当に急な話でした。2020年11月5日、同社の釧路事業所の所長が市役所へお越しになりました。事前には「新しい事業についての説明」に来られるのだと伺っていたのですが、お会いしてみると本当の要件は違っており、工場撤退のことを切り出されました。

 その場で「弊社がたった今、発表しました」と、工場閉鎖に向けたリリースの文面を既成事実として示されたのです。まさに寝耳に水で、私たちはこれを聞いて愕然(がくぜん)としました。

 もちろん、製紙産業を取り巻く環境が厳しいことは認識していました。それだからこそ、釧路市としては以前から、日本製紙と工場の方向性について共に話し合いを続けていたのです。

 今から4年前の18年、同社を巡って、大幅な減損処理が必要になるという業績見通しのニュースが出ました。私はすぐに東京に行って、同社の本社を訪ねたのです。まず私が懸念していたのは「日本製紙クレインズ」という、釧路を拠点としたアイスホッケーチームの状況でした。チームの運営には年間4億~5億円のコストがかかるため、会社の業績が厳しいと、存続が危ぶまれるのではないかと気をもんでいました。

 残念ながらこのチームは、18年12月に廃部が決まりました(19年からは同社を離れて「ひがし北海道クレインズ」として活動)。ただ、この時点ではまだ、釧路の製紙工場については今後も稼働を続けるという希望がありました。

 プラスチックをできるだけ紙に置き換えていく「紙化ソリューション」。その推進役として釧路事業所を活用してほしい、それによって紙の生産を続けてほしいと、18年の時点で日本製紙に提案していました。これに対する同社の受け止めは、引き続き協議していきたいというものでした。

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