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コロナ禍で観光客が大きく減り、京都銘菓八ッ橋の老舗の経営に直撃した。京都のにぎわいは多少戻ってきたが、夏までの急落を補うには程遠い。やろう、やめよう。そう思いつつ「先延ばしにしてきたツケが回った」と語る。

[井筒八ッ橋本舗会長兼社長]
津田純一氏
1949年生まれ。京都大学を卒業後、不二家に入社。3年後、家業の井筒八ッ橋本舗に入り、94年社長。会長職にいったん退いたが、2019年夏から再び社長を兼務。実父の6代目津田佐兵衞(さへえ)氏がオーナーを務めている。

 弊社の歴史は1805(文化2)年、初代津田佐兵衞が仕出屋で出した菓子から始まりました。誤解している方もたまにいるのですが、始まりは琴の形をした硬い八ッ橋のほうです。粒あんが入った生の八ッ橋が広がったのは昭和40年代。ヒットさせたのは別のメーカーで、私たちはあの三角形の八ッ橋をつくるのには出遅れた側でした。

 出遅れを取り戻すため、私は昭和51年にこの会社に戻り、血眼になって失地回復に努めました。今では売上高は年約30億円。あん入り生八ッ橋「夕子」が半分以上を占めます。もちろん、琴の形の八ッ橋「井筒八ッ橋」も創業から200年以上、愛され続けてきました。時代に合った味と歯応えを追求し、お客様の好みを先取りしてベストな状態で提供する。気づかれない範囲と速度で改良もする。「いつまでも変わらずおいしいね」。こう言ってもらえることを生きがいにやってきました。

老舗の弱点があらわに

観光客や修学旅行生がコロナ禍で減り、井筒八ッ橋本舗の経営は大きく揺らいだ。

 ですが、昨今のコロナ禍で大打撃を受け、この老舗の経営も危機的状況に陥ったのはご想像の通りです。

 観光客が消え修学旅行生が消え、一番ダメージを受けたのは5月。売り上げは前年同月比で8割減でした。6月も7割減、7月も6割減、8月も5割減。悲劇的な状況でした。これまで利益も辛うじて出してきましたが、今回は6月期決算で1億円前後の赤字を出しました。この夏は本当に苦しかった。眠れない日々が続きました。

 ただ冷静に振り返ると、老舗の弱点が露呈した。これも認めざるを得ない事実なんです。知らず知らずのうちに、観光客に頼り切った商売をしていた。京都の街から観光客がいなくなるわけがない。コロナ前まで本当にそう信じていたわけですから。

 綻びの兆候は実はあった。日韓関係の悪化に伴って昨年夏あたりから訪日客が減った、中国人観光客も鈍った。それでも私どもの場合、訪日客に頼る部分はそれほど多くなかったので、まだまだイケると思っていました。心理的な備えが足りなかった、甘かったと言わざるを得ません。

 弊社の足元を見るに、やろう、やろうと思っていたけれど、決断を先送りにしてきた事業が多く残っていました。片手間でやり、本腰を入れてなかった通販などがその代表格ですね。反対に、時代遅れになった、早いうちにやめたほうがいいと考えつつ、これまた先送りにしてきたものもあります。例えば取引先の選別や売り場のリニューアルなどがそれにあたります。

 どちらも、「老舗経営」にあぐらをかき、「やろうと思えばいつでもできる」「何とかなるだろう」と高をくくっていた点は否めません。目の前で需要が伸びている、観光客が増えている。そんな状況下で、来るべき危機への準備が延び延びになっていました。当たり前の経営判断ができていなかったことを今さらながら恥じています。コロナが気付かせてくれた。この言い方のほうが適切かもしれませんね。

 私自身、社内、社員に対する姿勢も反省しています。今思えば、これも老舗の悪いところ。要するに「指示待ち」の社員が多くなっていた。グループ全体で300人近い社員と心通わせるやり取りができてきたか。「俺に任せておけ、だって200年も続いてきた店なんだから、俺の言うことを聞いていたら向こう200年大丈夫」。そんな接し方をしてきた結果が、コロナ禍での行き詰まりの遠因になった。正直、そんな側面が大いにあると思っています。

日経ビジネス2020年12月7日号 78~79ページより目次