「何とかなる」では、何ともならず

<span class="fontBold">津田氏は「知らず知らずのうちに観光客に頼り切った商売をしていた」と反省を口にする(写真は、京都市東山区の祇園本店)</span>
津田氏は「知らず知らずのうちに観光客に頼り切った商売をしていた」と反省を口にする(写真は、京都市東山区の祇園本店)

 「いつか何とかなる」という発想だったので、何ともならない状況まで追い込まれました。だからこれからは挑戦です。この会社を生き返らせなければならない。でも私一人で生き返らせることはできない。社員一丸となって、できることを地道にやる。この姿勢を取り戻さないといけないですね。

 「売り方」については、第2量販部を立ち上げ、今までどこかなおざりにしてきた「地元で売る」という方針を明確にしました。コンビニでも売る。各地のユニクロの店舗でプレゼントとして八ッ橋を採用してもらう。やり始めると、いかに営業努力が足りていなかったかに気づかされました。通販も日々、拡充している最中です。

 「事業の整理」の部分については、例えば京都駅に出していた、小豆とあんの専門店。お客様に受け入れてもらえるにはまだ早かったと考え、かしこまり過ぎていた店舗をリニューアルしました。取引先の選別・合理化の面でも、動かない商品をずっと置いたまま先方の利益に貢献していないと考えられるところは、断腸の思いで打ち切りを通告させていただきました。

 最近は、社員がこの危機下でみるみるうちに変わってきたと実感します。何より自ら考え動いてくれている。新しい常連さんづくりに励み、どんな時でもお客様に貢献できる「新時代の御用聞き・お世話役」になるんだと張り切ってくれています。不幸中の幸いで、コロナ禍がなければ私はずっと同じ経営をしていたかもしれない。社長が変われば会社は変わる。自分と自分の考え方を変えずに社員を変えようと考えていたこと自体、思い違いでしたね。

 これから構造改革を進め、売り上げが半分になっても利益を出せるギリギリの線を見極めたいと考えています。早急な赤字脱却は難しいかもしれませんし、コロナ禍では予測も立てにくい。けれど予測を立てて動くだけなら今までの経営と一緒。これまでとは違った老舗経営のカタチを模索する時期が来ていると思っています。

 別件ですが、苦境さなかの6月、ライバル社が「1689(元禄2)年創業」をうたうのは事実と異なると、弊社が訴えた裁判の判決が出ました。その判断は、消費者にとっては「江戸時代に創業したとの認識をもたらす程度」というもの。まるで受け入れられません。

 無論、老舗の行動としてふさわしいかどうかについてはじくじたる思いがあります。ただ私の父は97歳、業界に残った唯一の語り部。「あの世から見て、私は後悔を残すことになる」と話しています。歴史や由来を偽らず、しっかりと後世に伝えるため、こちらは引き続き高裁で争っていく考えです。

日経ビジネス2020年12月7日号 78~79ページより目次

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