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かつて「夢の乗り物」と呼ばれた立ち乗り電動二輪車、セグウェイが、岐路に立たされている。日本では公道が走れないままおよそ20年の時が過ぎ、開発地である米国での生産も終了した。日進月歩のイノベーションの中、いつでもどこでも誰もがセグウェイに乗るというシナリオは大きく狂った。

[セグウェイジャパン会長]
大塚 寛氏
1971年生まれ。玉川大学卒、米コンピューター関連企業の日本法人などを経て2008年12月にセグウェイジャパン設立。17年から現職。セグウェイは米国のディーン・ケーメン氏が開発。米セグウェイ社は現在、中国企業の傘下に入っている。

 2008年から私たちが取り扱ってきた立ち乗り電動二輪車「セグウェイPT」が、岐路に立たされています。日本では公道を走れないままおよそ20年が過ぎました。そしてこのほど、米セグウェイ社が米国での生産を停止しました。以下、これまでの経緯と今後の展望について説明します。

 重心移動で操縦するこのセグウェイを開発したのは、米国の発明家、ディーン・ケーメン氏です。例えば体が不自由な人などに対し、人の手足の機能を補助する役割をロボットにどう担わせるのか。ケーメン氏の発想はこの延長線上にあり、別の企業に勤めていた私も、このサイエンスとテクノロジーが融合する未来図に共感しました。

 01年の発売当時、世界中の著名な経営者がみな、「夢の乗り物になる」と発言したことを昨日のことのように思い出します。私は日本で普及させる担い手になりたいと訴え続け、08年に米セグウェイ社と総代理店の契約を結びました。弊社の売り上げ構成比はセグウェイ本体の販売が40%ほどを占めていて、メンテナンス、レンタル、セグウェイツアーなどがそれぞれ20%ずつというイメージです。

桁が1つ異なる日本での販売

 しかしながら、販売台数としては、全体でならすと年200~300台にとどまりました。海外に比べて桁が1つ違う状況です。普及への道のりは特に日本では、自分が想定していた以上に「難路」だった。その道の至る所になかなか乗り越えられない壁があった。これもまた事実です。

 大きな壁の一つはやはり国・行政の規制です。横浜に拠点を構えたのは、私が横浜生まれだったということだけではありません。横浜は、江戸時代の鎖国から開国への象徴的な街。この街から米国発の新しい乗り物に関する規制緩和の道筋を描いたのですが、そう簡単にはいきませんでした。

 小泉純一郎元首相が米国のブッシュ元大統領からセグウェイをプレゼントされ、公邸で乗るその姿を覚えている人も多いでしょう。05年のことです。構造改革特区に着目し、まずは横浜市の特区で公道を走れるようにし、その仕組みを全国に広げる。そんな絵を描いていたのですが、矢先に当時の横浜市長が退任。途方に暮れていたところ、茨城県つくば市にこのプランを拾ってもらいました。

 つくばでの実証実験を繰り返した結果、正直、3年ぐらいで道路交通法が改正され、公道を晴れて走れる日が来ると思っていました。が、国の回答は違いました。安全性を確認するには、都会や人混みの中でも試さないといけないだろう。こんな回答だったため、今度は二子玉川駅前(東京・世田谷)での実証実験に切り替えました。特区ではなく、経済産業省主導の「グレーゾーン解消制度」という取り組みでした。