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70年近くにわたりラテン音楽を日本に紹介してきた雑誌「ラティーナ」が休刊となった。 コアなファンの間で「聖地」とされたが、ネットの普及と書店の減少で読者が離れた。 今後は編集で培った人脈を生かした興行のほか、オンライン情報サイトの充実を図る。

[ラティーナ社長]
本田 健治 氏
1948年、北海道北見市生まれ。青山学院大学卒業、日本フォノグラム(現在はユニバーサルミュージックに統合)に入社。75年に中南米音楽に入社。94年に事業を継承する形でラティーナを立ち上げ社長に就任。

 2020年5月号を最終号として、月刊誌「ラティーナ」を休刊しました。1952年から68年間続いた、世界でも数少ない音楽専門誌です。何とか継続していきたい気持ちは強かったのですが、会社を経営するためには収入源を確保せねばならず、そのためにはネット記事の充実が不可欠でした。人的リソースも限られており、断腸の思いで雑誌は打ち切ることにしました。長年ご愛顧いただいてきた読者の方々には、大変申し訳なく思っています。

 ラティーナ前身の「中南米音楽」を52年に創刊したのは、アルゼンチンの民族音楽であるタンゴの愛好家らがつくった「中南米音楽研究会」でした。タンゴは、「敵性音楽」と見なされたクラシック音楽やジャズと違って、戦時中もラジオでかかっており、当時の人々にとって身近でした。

 ただ、中南米はあまりにも遠く、アルゼンチンがどんな国かも分からない。そこで、音楽を聴く上で役に立つ情報を発信しようと研究会メンバーが同人誌を出したのが始まりでした。

中南米の音楽とともに歩む

ラティーナ前身の「中南米音楽」はラテン音楽の愛好会メンバーが1952年に創刊(左が創刊号)。3号目以降は予算難からガリ版印刷だったが、何度も苦境を乗り越え68年の歴史を刻んできた

 ただ、3号目を発行するくらいから懐事情は厳しくなりました。その時に出資したのが、92年に亡くなるまで経営の最前線に立っていた元社長の中西義郎さんでした。中西さんは雑誌の発行とともに、アルゼンチンやメキシコの歌手を日本に呼んで、飲食店などでの興行を手掛けました。

 私は大学時代からフラメンコ三昧で、卒業後はレコード会社に就職。フラメンコのシリーズを手掛けながら、当時新しい音楽だったフォルクローレ(ラテンアメリカの大衆音楽)の流行を予感していました。