第一航空(大阪市)は5月、4億5000万円の損害賠償を求め沖縄県を提訴した。約束した補助金が支払われず、那覇~粟国路線からの撤退を強いられたためという。空路が絶たれた粟国村民の足はフェリーだけ。村民が一番の被害者だと訴える。

木田準一氏
1960年京都府生まれ。建設会社で現場監督をしていたある日、ふと見上げた飛行中のヘリコプターに憧れ90年に第一航空入社。パイロット免許を取得し遊覧飛行、空撮、訓練生の教育に携わる。2010年取締役副社長、17年から現職。
県に損害賠償請求をした概要
第一航空が1日2往復飛ばしていた那覇~粟国路線。運賃がフェリーの2倍強の片道8000円ということもあり、搭乗率50%台の不採算路線で沖縄県からの補助金で穴埋めしていた。だが18年度の運航費補助金が認められず撤退せざるを得なくなったとして、第一航空が県に損害賠償を求めた。那覇と粟国村をつなぐ手段は今は1日1往復のフェリーだけだ。
今回の損害賠償請求額、4億5000万円の内訳は、2017年4月以降の訓練費、人件費、事務所経費などです。当社は15年8月に申し訳ないことですが、粟国空港で着陸失敗の事故を起こしてしまい、那覇~粟国路線を運休しました。同路線は不採算事業のため、それまでは行政からの補助金で何とか運航を継続していました。ですが運休中に沖縄県が突然、約束していた補助金を減額すると言ってきたので、やむを得ず17年2月で撤退すると表明しました。

すると沖縄県の担当者が、補助金の額を検討し直すので、撤退しないでほしいと言ってきたのです。それならば、と社内体制の見直し、安全対策の再構築、社員の教育、機長要員の再訓練などを行い、18年1月にようやく運航再開にこぎ着けました。
しかし担当者が代わったことを契機に、沖縄県の態度が再び変わりました。行政が出せるのはあくまで運航費の補助なので、運航再開までに要した準備費用や機体維持にかかった費用は出せないと言ってきたのです。
粟国村からも、運航費補助に出せる金額には上限があるのでこれ以上は出せない、と言われました。粟国村の負担額を超える部分を第一航空が持つなら運航してもらって構わない、という無責任な回答でした。
我々はもうこれ以上の持ち出しは無理だから撤退すると宣言したのに、沖縄県が続けてほしいというのに加え、粟国村民の方々に対するおわびの気持ちもあったので、巨額の費用をかけて再開にこぎ着けたのです。
本当はもっと再開までに経費がかかっていますが、損害賠償請求した金額は、撤退しますと言った17年より後の経費だけです。当社が事故後の運休時の維持経費まで請求しているとして悪者にしようとする人がいますが、撤退宣言するまでの経費は求めていません。そして結局、18年度の運航費補助が認められなかったので、再開からわずか3カ月後の18年4月には再運休せざるを得ませんでした。
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