だが、この建物を拠点にする270人の研究員こそが、日覺氏がいう超長期での研究開発を手掛けるフロントラインを担う。先端材料研の真壁芳樹所長は「このセンターでは、50年先のソリューションを考えている」と話す。

 センター内の誰もが知る有名人にも話を聞かせてもらった。先端材料研で新エネルギー材料研究室長を務める菅谷博之氏。「リサーチフェロー」の肩書も持つ、分離技術の専門家だ。分離膜の研究を続けながら、学会で会誌の企画編集を担当したり、大阪大学などで教壇に立ったりしている。

 菅谷氏は「他社では学会の講義を聞きに行くことはあっても、事務局の活動までするケースは少ないと思う。会誌の原稿の打ち合わせなどを通じて、その道の権威とつながりができるのは貴重だ」と話す。こうした社外活動で築いた人脈を交流会を開くことなどで社内に還元している。

 現在6人いるリサーチフェローは1992年に導入したポストだ。画期的な研究成果を上げた研究者をラインの管理職以外でも処遇することで、長期にわたって研究開発に専念できる風土づくりを狙った。支給される活動費は原則、上司の許可なく自由に使える。

「なあなあ」ではなく「つうかあ」

 全社の研究員は勤務時間の10~20%を、上司への報告が要らない「アングラ研究」に充てることを奨励されている。電子情報材料研の村瀬清一郎・研究主幹の発見もこのアングラ研究が由来だ。ICタグに埋め込んだ情報を無線で読み書きするRFIDの普及に弾みをつけうる技術を開発した。

 1999年に入社し、有機ELディスプレー用の発光材料の研究を経て、2005年ごろから炭素原子が筒状につながったカーボンナノチューブの研究に転じた村瀬氏。カーボンナノチューブを半導体として使えないかと興味本位で始めた研究が基になり、情報を記録する集積回路を特殊な素材で直接印刷する技術の開発につながった。シリコンウエハー上に作製した回路を切り出してアンテナに実装する工程がない分、大幅なコスト削減になる。

コア技術から生まれた先端材料が様々な事業領域に貢献する
●研究開発における選択と集中のイメージ
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 現在は研究リーダーも務める村瀬氏は、メンバーが日々取り組む研究について、細かい進捗管理をしていない。報告の会議は月1回程度のペースで開いているが、そこでもアングラ研究の結果は報告されたりされなかったりと自由な雰囲気だという。「最初は必ず何かワケの分からないものから始まる。だから自分で調べたくなるし、専門家の話も聞きたくなる。アングラなくして研究は成り立たない」と語る。

 こうした研究現場の雰囲気を阿部CTOが尊重しているように感じるという声は複数の研究者から聞かれた。阿部氏自身も「研究者はなによりも束縛されることを嫌う」と戒めを口にする。

 製造業の多くが置いているCTO職は大抵が専門職のような位置付けだが、東レでは阿部氏が代表取締役副社長も務める。執務室は日覺氏の社長室の隣で、そのことを研究員の誰もが知っている。2人が頻繁に打ち合わせできるという物理的なメリットがあるだけではない。研究開発が経営そのものだという強力なメッセージになっている。

 毎年4月、技術センターは最高意思決定機関である技術委員会を開く。委員長は阿部氏が務め、日覺氏も同席の下で、10年先を見据えながらこの先1年間の研究開発の方向性を決めている。足元の研究テーマを実際に固める場でも、「10年」というスパンの計画を織り込みながら議論を進める。組織の在り方も運用も長期戦略に基づいて研究開発を進めるよう一貫しているから、研究員は迷うことなく将来を見据えた研究に打ち込める。

 トヨタ自動車が技術開発で世界に先んじているFCV「ミライ」。心臓部となる燃料電池スタックの電極基材には、炭素繊維を使った厚さ数百μ(μは100万分の1)mのカーボンペーパーを用いている。供給するのが東レだ。この開発にも、やはり半世紀の歳月を要したという。

 先端材料研の真壁所長は「社内でも厳しい視線にさらされ、担当者がつらい思いをした時期もあったが、継続したことで開発できた」と感慨深げだ。FCVへの供給で収益化するにもまだかなりの時間がかかる。それでも自由闊達な研究者の取り組みを奨励してきたからこその成果だと考えている。

 ただ、これほど長いスパンになると、東レに所属している間に成果が出ない研究員もいる。技術を引き継ぎながら研究を進めるので、ブレークスルーのタイミングに立ち会えるか否かで実績や評価に大きな差が生じてしまう。このため社内向け論文のほか、研究内容や実験のプロセスも丁寧に記録し、人事評価に取り入れている。

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