創業家出身トップの「カジノ事件」で揺れた大王製紙が、その後の10年間で事業転換を加速させている。組織の縦割りを排除し、需要が低迷する洋紙から家庭紙へのシフトを進め、コロナの逆風下で増収増益となった。社員一人ひとりが指示待ちを脱し、当事者意識を高めることで果たした成長の軌跡を追った。

<span class="fontBold">三島工場(愛媛県四国中央市)の抄紙工程プラント。向かって左側で情報・印刷用紙を、右側で段ボール用紙を抄いている</span>
三島工場(愛媛県四国中央市)の抄紙工程プラント。向かって左側で情報・印刷用紙を、右側で段ボール用紙を抄いている

 2月中旬、大王製紙の三島工場(愛媛県四国中央市)に立ち並ぶ建屋の一つに入ると、幅10mほどの通路を挟んで大型プラントがうなりを上げていた。両側ともパルプを圧搾、脱水して紙にする抄紙工程。入り口から入って左側では雑誌など向けの情報・印刷用紙、右側では段ボール用紙を抄(す)いている。

 この建屋ではもともと、両側で情報・印刷用紙を抄いていたが、2019年10月に右側のラインを止め、製紙機械を段ボール生産用に改造。20年4月に商業運転を始めた。

 抄紙工程は途中でちぎれないように圧力を調整するなど紙の種類によって異なる職人技が求められる。このためラインごとに生産を管理するのが常識だが、ここでは第2抄紙課の向井祐二係長率いるチームが両方を並行して管理している。「段ボール用紙もやってくれと言われたときは絶句した。本当にできるのかと」。20年以上も情報・印刷用紙一筋だった向井氏が当時の衝撃をこう語るように、挑戦的な試みだ。

赤字の中で起きた不祥事

 製紙業界は構造不況に苦しむ。少子高齢化に伴う市場縮小に加え、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う脱オフィスの動きはペーパーレス化に拍車をかけている。日本製紙連合会の試算では、08年に3076万トンあった紙・板紙の需要は20年見込みで2294万トンと約25%も失われた。

国内市場は縮小が続く
●紙・板紙の内需試算(日本製紙連合会調べ)
<span class="fontSizeL">国内市場は縮小が続く</span><br><span class="fontSizeS">●紙・板紙の内需試算(日本製紙連合会調べ)</span>

 そんな逆風下にあっても、大王製紙の21年3月期は連結の売上高が前の期比3.4%増の5650億円となり、成長を実現する見通しだ。営業利益も330億円で同7.7%増となる。

 コロナ禍による需要減で製紙大手6社のうち大王製紙を除く5社が減益もしくは赤字見込みとなるなかでの一人勝ちだ。情報・印刷用紙の製造ラインを段ボール用紙に転換するような柔軟な生産体制を確立し、他社に先んじて10年前から進めてきたポートフォリオの見直しが花開いている。

コロナ下でも唯一の増収増益
●製紙大手6社の2021年3月期決算見込み(第3四半期時点)
<span class="fontSizeL">コロナ下でも唯一の増収増益</span><br><span class="fontSizeS">●製紙大手6社の2021年3月期決算見込み(第3四半期時点)</span>

 構造改革に踏み出すきっかけは前代未聞の不祥事だった。「関係者のみなさまに多大なご迷惑をおかけしました」。11年9月16日。佐光正義社長(現会長)は顔をこわばらせて深々と頭を下げていた。トップ就任から2カ月半。3代目のプリンス経営者による巨額の使い込みの後始末が、最初の仕事となった。

 創業家出身の井川意高会長(当時)がシンガポールやマカオのカジノにのめり込み、関連会社から不正に借り入れた106億円を失っていた。自身のギャンブルでの損失に会社のカネを充てても痛みを感じない。白日の下にさらされた異様な創業家の姿に世間は驚き、社員も耳を疑うばかりだった。

怖い製紙担当に話しかける

 このころの大王製紙の経営はガタガタの状態に陥っていた。直近の11年3月期は上場来初となる80億円の最終赤字。紙離れが本格化し、リーマン・ショックの影響も引きずっていた。

 不祥事を引き起こしたガバナンス不全と経営不振には関係があると佐光氏は考えていた。主力の三島工場はグループ全体の生産の約7割を占め、年間生産量は国内の紙・板紙需要の約8%に相当する210万トンと世界最大規模。ほかにはない多品種生産が売りだが、巨大工場にはセクショナリズムが巣くい、各品目の生産量を柔軟に変えられないでいた。創業家支配が工場運営の硬直化を助長したと佐光氏はみた。

 「それぞれの組織がまるで別会社のようだった」。田中幸広・経営企画本部長は10年前をこう振り返る。洋紙や板紙を扱う部署と、トイレットペーパーやティッシュ、紙おむつや生理用品など家庭紙を手がける部署はオフィスが別々で、人事交流もない。「三島工場を一度も見たことがない」という東京本社の営業職の社員も多かった。

 三島工場も縦割りやサイロと呼ばれるような袋小路に陥っていた。各製造ラインは指示された計画の達成に懸命で、工場全体の生産に考えが及ばない。それぞれが融通し合って市場のニーズに合った製品を送り出すという発想は乏しかった。

 部署ごとの独立性が高く、その頂点に創業家出身の井川氏が立ち、ワンマンで全体を統括する構図。1962年に資金繰りに行き詰まって会社更生法適用に至った反省から、各部署の独立採算を徹底した結果だとされている。

続きを読む 2/3 ミツバチが大輪の花を咲かす

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