食卓でおなじみとなったマイタケの生産で国内トップをひた走る。だが約6年前には、業績悪化に加え、創業家と経営陣の対立が起こるなど経営が混迷した。昨年9月には株式市場への再上場を果たし、利益は黒字を確保する見込み。復活の要因は何だったのか。

2020年9月17日は雪国まいたけにとって復活を高らかに宣言する節目の日となった。東証2部の上場が廃止となってから5年余り。東証1部への上場を果たしたのだ。「紆余(うよ)曲折あったが、非常にうれしい」。同社の足利厳社長は晴れやかな表情でこう語った。
新潟県南魚沼市に本社を置く雪国まいたけが上場廃止となったのは15年6月のことである。業績の悪化や創業家と経営陣の対立により、米投資ファンドがTOB(株式公開買い付け)を実施したためだ。株式市場への再上場を果たすまでのこの5年間、同社の売上高は伸び続け、赤字だった純利益は21年3月期に50億円に達する見込みだ。
業績悪化と内紛に揺れた企業はいかにして立ち直ったのか。それを知るにはまず雪国まいたけの成り立ちに触れる必要がある。
雪国まいたけは1983年にもやし店を営んでいた大平喜信氏が立ち上げた。当時は難しいとされていたマイタケの人工栽培に乗り出し、「昼夜を問わない研究」(大平氏)によって大量栽培の技術を確立。工場を相次いで新設するなどして毎年、事業規模を拡大してきた。94年には新潟証券取引所に上場し、2000年には東証と新潟証券取引所の合併により東証2部に上場した。
米国や中国にも進出し、ブナシメジやエリンギといったマイタケ以外のキノコの大規模生産にも乗り出して多角化を進めていたが、キノコ業界最大手で長野市に本社を置くホクトとの間で「信越キノコ戦争」とも呼ばれる販売競争が激化。そのほか生産トラブルや需要の減少などによって12年3月期には約25億円の赤字に転落した。加えて、13年には内部告発によって、損失を少なく計上する不適切会計が発覚した。
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