コロナ禍の発生からおよそ1年、ANAホールディングス(HD)はまだ苦境から脱していない。危機にさらされ、これまで減便やグループ外への出向などあらゆる対策を大規模に打ち出した。一度つくった想定に縛られず、行動に行動を重ね、自力で難局を切り抜ける。
(写真=左:ロイター/アフロ、中央:AFP/アフロ)
2021年1月4日、ANAHDの片野坂真哉社長はグループ全社員に向け、オンラインでメッセージを送った。「自分たちの力で、コロナ禍の危機を乗り切り、再び成長軌道に戻っていく」
世界の航空業界は依然、苦境にある。日本政府はビジネスでの往来について、中国や韓国など計11カ国・地域を対象に認めたが、国際線需要の押し上げ効果はわずかしかない。国内線の旅客数の戻りもきわめて緩やかだ。
崩れたケース1「5月末収束」
ANAHDは21年3月期の最終損益が5100億円の赤字に転落する見通し。08年のリーマン・ショックの影響で最悪の業績となった10年3月期の9倍の赤字幅だ。金融機関から4~9月だけで5000億円以上の融資を受け、劣後ローンや公募増資でも7000億円程度集めたものの、需要低迷が続き経営の先行きは予断を許さない。
この1年、片野坂社長が社内で訴えてきたのは「自力で生き残る」ということだった。リーマン・ショックだけでなく、01年の米同時多発テロ、11年の東日本大震災、12年からの尖閣諸島問題(日中関係の悪化)、13年の米ボーイング製B787バッテリー問題と、様々な出来事に揺さぶられながらも、生き抜いてきた。
国内の航空業界では日本航空(JAL)が10年、リーマン・ショックを引き金として会社更生法の適用を申請した。1998年に新規参入したスカイマークは、競争激化や無理な投資がたたり、2015年に民事再生法適用を申請した。ANAHDには、経営破綻を経た2社とは違うという思いが強い。
コロナ禍の中で、政府が株式を保有し一部国有化されたドイツのルフトハンザ航空のように、国の介入を受けるケースも出ている。韓国では政府が主導し、首位の大韓航空が2位のアシアナ航空を買収すると決めた。
ANAHDの経営陣はJALや海外の事例などから、公的支援が経営の独立性の足かせになるとの認識を持っている。だからこそ「自力」を強調するわけだ。
だが、実際コロナ禍に立ち向かうのは苦労の連続だ。針路が全く見えない中で、ぎりぎりの対応を迫られた。
20年1月初旬、東京都港区にあるANAHD本社。「現地で感染症が急速に広がっている」。中国・武漢への便を飛ばす全日本空輸(ANA)のグループ拠点から、現地情報が次々入る。武漢には日本の総領事館がなく、独自リポートの意義は大きい。
当時は影響の大きさが誰にも読めない。政府の要請で1月28日に帰国者のためのチャーター便を武漢へ飛ばしたが、社内では局地的な影響に限られるという受け止めもあった。
2月、社内の空気が変わる。アジア、欧米へと感染が広がり、航空業界への大打撃が見込まれた。ANAHDの中でコロナ対応を決める組織は、片野坂社長や常勤取締役らが毎週集まるグループ経営戦略会議。「有事モードがどんどん強まっていった」と経営企画部の鈴木大輔担当部長は言う。
片野坂社長は危機感を共有するため3月19日、全グループ社員にあててメッセージを出す。事業展開の前提として「政府がコロナ禍の収束を宣言する時期を5月末と想定する」と説明。これを「ケース1」と呼んだ。
難航したダイヤづくり
急がなければならなかったのは、金融機関の融資協力を取り付ける一方、コストを減らすことだ。収入の半分を占める国内線の旅客数は、1月に前年同月を上回っていたが、2月は5%減、3月は60%減とつるべ落としのように下降していった。
まず取り組んだのは減便。ANAの運航ダイヤを決めるネットワーク部の現場は、これまでになく作業に難航した。最大の問題は、過去の運航データが参考にならないことだ。
林原央和マネジャーは悩んだ。「欠航しすぎると、まだ乗る必要のある顧客に迷惑をかける。運航が多くなるとコストがかさむ」。交通機関としての責任と経済性のバランスをどうとるべきなのか、容易に答えは出ない。
「国内で減便する路線は1日に飛ぶ頻度が多いところにすべきだ」「新幹線が通るといった他の交通機関の利便性の高い場所も、減らせるかもしれない」。多くの要素を考慮しながら、減便対象が羽田~新千歳、羽田~福岡といった路線に固まっていく。
「通常なら2~3月はそう忙しくない時期だが、異常事態で息つく暇もなかった」と林原氏。作業を急いでも、運航計画の変更発表は運航の直前にならざるを得ない。顕著に表れたのが3月で、4日に6~12日分、6日に9~19日分、13日に20~31日分などと細切れに公表していった。
減便と同時に、運航する機材の小型化に努めた。通常、羽田空港から四国や東北へ飛ぶ便は100席超ある米ボーイング製の小型機「737」などが多いが、一部をカナダ・ボンバルディア製の74人乗りプロペラ機に置き換えた。運航はグループのANAウイングス(東京・大田)が担当だ。
問題の一つは専門パイロットの確保。プロペラ機は伊丹、中部空港を拠点に利用者の比較的少ない地域を結んでいる。パイロットはそうした空港の周辺に住む場合が多い。羽田からプロペラ機を飛ばすとなると、パイロットに地方から新幹線でわざわざ羽田まで来てもらい、そこから出発するなど負担を強いる。「プロペラ機をフル回転させ、少しでもコストを削れるなら」と同社の山口哲也執行役員。後がないという覚悟で一人ひとりが対応を急いだ。
実はケース1を想定していた3月、経営陣による危機対応のシミュレーションが生きた場面があった。
「もしリーマン級の危機が2年続いたらどうするか」。19年、今後も何らかの危機があると考えてそんな議論を交わしていた。「21年、22年で計4000億円の営業利益が吹き飛ぶだろう。ではコストをどう減らすか」。賃金カット、退職金の見直し、路線の減便……。
このとき打ち手を思い浮かべていたことで、今回、緊急対策案を幹部から募ると2日で幾つも集まった。
だが事態は想定を超え、営業利益は20年3月だけで1000億円程度消えたとみられる。4月、片野坂社長は想定を見直す。「ケース2に移行し、コロナが収束する時期の前提を8月とする」
長引く一時帰休、募る不安
シナリオを見直した最大の理由は、政府が4月に発令した緊急事態宣言。国内線の旅客数は5月、20年で最低の95.5%減となった。収束を8月と見ることができた要因にSARS(重症急性呼吸器症候群)がある。中国を震源地として02年以降に広がったこの感染症は約8カ月で収束したとされる。今回のコロナ禍の始まりを19年12月と見れば、8月を区切りと考える根拠になる。
収束時期の前提が遠のけば、危機対応を強める必要もある。雇用面では、4月から始めていた社員の一時帰休の対象を一気に広げた。
当初は客室乗務員が主な対象だった一時帰休を、バックオフィスも含めたほぼ全業務で実施。部署ごとに、休業日数の目標を定めた。多いときは1人当たり月5~10日休んだ部署もある。20年12月末で、グループ約4万6000人の9割がすでに経験している。
客室乗務員の管理職が1カ月休む程度の限られた事例はあるが、これほどの規模での休務は経験がない。
長引けば社内の不安が増す。雇用調整助成金をもらうことが前提のため「仕事をせず休んでないといけない。パソコンを開けず、メールも見られない」。ある社員は、会社がどうなっているのか分からず困惑した。コロナ禍収束の予想時期を5月から3カ月延ばしたANAHD。苦しい時期がいつ終わるのか、社員の心は揺れていた。
だが、危機対応の見直しはまだ終わりではなかった。7月29日、片野坂社長は社員に強く訴えた。コロナ禍のさらなる長期化を見据える必要がある──。いわば「ケース3」で、この時期の第2波が背景の一つにある。
航空需要がコロナ禍以前の水準に戻る時期について国内線は22年3月末、国際線は24年3月末とした。それまで、需要が元に戻る時期は明示せず、国内線は21年3月に7割回復するなどと予測していた。ANAグループは10月下旬に構造改革案を発表するまで、3たび知恵を絞ることになった。
「1円でも多く減らす」
財務の健全性を保つため、背水の覚悟で対策を打たなければならなかった。ANAHDは3月末、現預金など手元資金が2400億円あったが、4~6月に1750億円が流出した。あまりに流出が激しく、経営陣に衝撃が走った。
借り入れなどで一定の余裕を持たせたが、無限に資金調達できるわけではない。ANAHDは構造改革案で、21年3月期に固定費を中心に約1500億円コスト削減を深掘りする計画を示した。
一気に5倍減らす──。減便から思い切って踏み込み、大型機「777」を中心に大胆に機材を減らすことにした。
コロナ禍の発生前は、21年3月期に退役させる機材は7機の予定だったが、35機に拡大した。同期末に309機(リース機、子会社ピーチ・アビエーション含む)となるはずの保有計画は、1割減の276機。1年でこれだけ減らしたことはない。
社内の葛藤は大きい。ANAグループの成長は大型機による国際線の拡大に支えられた。1980年代、日本の人口減少を見据え、国際線の定期便事業をスタート。2005年3月期に国際線はやっと黒字転換し、拡大の一途をたどった。
ワクチン開発が進んでいるとの情報もあって「需要がいずれ回復するのにそこまで減らしていいのかという声も社内にあった」とある社員は言う。
機材の売却先を見つけられるかも課題に浮上した。退役させる場合、通常はリース会社などに売却することが多いが、コロナ禍の中では大型の777を欲しがる相手は少ない。無理に売ろうとすれば、損が大きくなる。
それでも大幅な削減を断行したのは、自力で生き残るためには現金の流出を「1円でも多く減らす」(片野坂社長)必要があるからだ。航空機は、運航しない日が続いても整備費などコストがかかる。空港に置いておくだけでも費用がかさむ。結局、730億円の損失を出してまで機材を減らした。
雇用面では、自然減や採用停止、希望退職で社員数を大きく減らす。「できる限り雇用を守りたい」と語った片野坂社長。その思いに変わりはないが、手を付けざるを得ない。
成長支えたグループ従業員 キャリア支援などでサポート
(写真=共同通信)
ANAで雇用対策の検討を担ったのは、8月の終わりに発足した人事部のセカンドキャリア支援チーム。従来よりも退職金を割り増して希望退職を募る、復職の可能性を持たせた転職支援の制度を新設するといった役割だ。
人事部の増田豊担当部長にとって、コスト削減はやむを得ないと分かっているが、すんなり取り組める作業ではない。チーム発足時の胸の内について「希望退職の拡充など考えていなかった」と話す。「だけど、どうしても人が余る中、次のステップに進みたい人もいるはずで、制度づくりを急いだ」
グループ外への出向は、20年の5倍に膨らむ。21年春、従来から出向している約100人に加え、客室乗務員や地上スタッフら約400人が増える。受け入れ企業は小売り・サービス・金融・製造業など200~300社の見込みだ。
「客室乗務員の語学力を生かして研修を担当してほしい」「接客スキルを生かしてサービス向上を手伝って」。企業にはこんなニーズがあることが分かった。家電量販大手のノジマもその一つで、コールセンター業務を中心に客室乗務員などを採用した。出向期間は半年から1年間を想定している。
契約までのプロセスには多くの時間を要する。人手が欲しいと言っている企業は健全な経営状況か。相手企業は、どんな業務でどれだけの期間受け入れてくれるのか。出向者の給与水準は出向前と同じにするが、相手企業はいくら支払ってくれるのか。出向先1社ずつ、根気のいる交渉を続けている。
グループ全体でベクトル一致
ANAHDは構造改革として、アジアを舞台とするLCCの新ブランド創設、顧客データを活用した決済アプリなどの事業の開始も盛り込んだ。こうした大掛かりな構想の一方、グループ総出で知恵を絞る場面も増えてきた。
旅行企画のANAセールス(東京・中央)は、ハワイ路線のために用意してある520席の欧州エアバス製「A380」で、遊覧飛行を実施。日本上空を飛びながら、ハワイ気分を味わえるよう現地のビデオを流したり、抽選会を開いて楽しんでもらったりと工夫を凝らす。
ANAセールスはANAから座席を調達し、商品を売るのが主業務。今回はANAの整備、乗員部門などを取りまとめて実施にこぎ着けた。ANAセールスの森田將裕コミュニケーション戦略部長は「コロナ禍の中で乗客を集めていいのか、レピュテーションリスクの心配もあった」というが、8月実施分の申し込み倍率は150倍に上った。
機内食製造のANAケータリングサービス(東京・大田)は12月、グループの通販サイトや「楽天市場」で機内食を売り出した。通常、日本発の国際線エコノミークラスの延べ乗客数は月30万人ほど。減便によって大量に余ったことが、アイデアのきっかけだ。
ANAグループはコロナ禍の発生後、最悪の想定を1度や2度ならず、3度も見直し、それぞれの対策を実行。トンネルを抜ける一歩を着実に重ねた。
日本は今、コロナ禍の第3波に襲われている。ANAグループは年末年始の旅客数が前年同期に比べて6割減ったが、ひるんでいる暇はない。この1年間の経験を生かし、素早い減便計画づくりなどに奔走する。自力で生き残ろうとするグループのベクトルは一致している。21年、経営を安定させるためどこまで踏ん張れるか。
INTERVIEW
片野坂真哉社長に聞く
危機の中で「待ち」の姿勢に変化
危機により需要がどう動くか分からなくても、事業の前提は必要です。最初はコロナ収束の時期を仮に2020年5月と置きました。危機は幾つも経験しているのですが、想定は何度も見直す必要がありました。
20年4~6月期の決算を発表した7月も、通期の業績予想を出せませんでした。もう長期の構造改革が欠かせず、コロナ禍のトンネルを小さな会社になって切り抜ける覚悟を決めました。全てのステークホルダーと調整が必要で、役員も夏休み返上です。
コストを削減し、現金の流出を減らすことにかなり腐心しました。あるグループ会社は交際費を予算比5割にしたというので、いやゼロではないんですかと。大組織ですから、役員会で決めた話が行きわたるまでに間違いなく時間がかかる。
ですから、グループ社員には現金流出額など具体的な数字を交えながらメッセージを何度も出しました。リーマン・ショックを知らず、空港に誰もいない景色を見たことのない社員が多くいます。最悪の想定を示し、危機感を持ってもらうだけでなく、希望も失わないでほしいと伝えました。
グループ会社間の壁が取り払われ始めたように感じます。持ち株会社や主要事業会社であるANAの経営企画部門が号令を出すまで、「待つ」という姿勢がありましたが、危機を受けて自ら動くようになった。
13年に持ち株会社とした狙いの一つは、各事業会社が自発的に意思決定することでした。今はそこに立ち返る機会でもあると感じます。(談)
日経ビジネス2021年1月18日号 54~58ページより
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