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「松本カルビー」誕生で苦境に

 しかし過去を振り返ると、湖池屋の経営は低迷から抜け出せないでいた。ポテトチップスを担当するマーケティング本部の野間和香奈次長は、「16年までは会社に元気がなかった」と振り返る。

 背景にあるのが価格競争だ。きっかけは09年、業界最大手のカルビーのトップにジョンソン・エンド・ジョンソンの社長だった松本晃氏が就任したこと。松本氏は工場の稼働率を高めて価格を抑える戦略を進めた。消費者の低価格志向もあって、この10年ほどでポテトチップス1袋当たりの平均売価は15円ほど下がった。

 カルビーがポテトチップスのシェア7割ほどを握るのに対し、2番手の湖池屋はシェア2割しかない。規模で劣るだけに製造コストの低減にも限界があり、厳しい戦いを迫られていた。

 価格で勝負ができないなら、商品ラインアップを増やして存在感をアピールするしかない。しかし、従業員数800人ほどの湖池屋ではリソースに限りがある。業績低迷が続く状況では、挑戦しにくいというジレンマがあった。

 「競合の動きばかりを気にして、どこかで見たような商品ばかりが増えていた」。創業家の小池孝会長はこう振り返る。商品開発部の白井秀隆部長も「とにかく数をこなすことに必死で、商品を作り込む時間も、消費者を見る余裕もなかった」と言う。

 湖池屋の創業は1953年。60年代に国内メーカーで初めてポテトチップスの量産化に成功し、「カラムーチョ」や「ドンタコス」など、発想力やものづくり力を起点にユニークな商品を生み出してきた。ただその強みは、徐々に失われていた。

 危機感を覚えて対策に動いたこともあった。2015年には30~40代の精鋭部隊を集め、社内の意識改革を働きかけるプロジェクトチームを立ち上げた。しかし、長年染み付いた意識を変えるのは難しく、成果は出なかった。

 「商品が変わればみんなの意識も変わる。ただ根本から変化させるためには、全く違う発想で経営できる人間がやらなくては」。そう考えた小池会長が2年の歳月をかけて探してきたのが、16年9月に就任した佐藤章社長だった。佐藤氏はキリンビバレッジ時代に緑茶飲料「生茶」や缶コーヒー「FIRE」など数多くのヒット商品を手掛けた「伝説のマーケッター」として知られる。社長就任の直後に、02年から「フレンテ」としていた社名を「湖池屋」に戻し再出発を切った。

 佐藤社長は当時の湖池屋についてこう語る。「売れている商品のトレンドを追いかけているから、会議で上がってくるアイデアは既視感があるものが多かった」

 飲料業界の商品開発では「人の無意識の行動」を起点に商品を作り込むのが定石。それに対し、菓子業界はネーミングや味付けなど「アイデア重視」(小池会長)。そのため、佐藤社長がマーケティング部員と話をしても話がかみ合わない。マーケティング本部の野間次長は佐藤社長との初めての会議について、「佐藤社長の質問の意図や発言の意味が分からず、ちんぷんかんぷんだった」と振り返る。

 自信を取り戻すカギは何か──。佐藤社長が活用したのは、創業者、小池和夫氏が生前に残したカセットテープだった。「その業界で最高のものを作る」。この言葉を基に企業理念を現代版にアップデートし、創業の原点に立ち返ることを社内に訴えた。

 意識改革が一筋縄ではいかないことは、佐藤社長が来る前の挑戦と失敗で証明されている。さらに当時、外部から来たトップに対し「お手並み拝見」という雰囲気も漂っていたという。