ヒット商品が生まれにくいといわれる菓子業界で、「プライドポテト」などの新製品が相次ぎ成功。社外から社長として招き入れた「伝説のマーケッター」が社員の意識改革を進めた結果だ。最大手ばかりを見るのではなく、消費者を直視し変化を受け入れる組織へと変わったことが功を奏している。
湖池屋の主力商品や新商品。「プライドポテト 芋まるごと」(前列右端)は食塩不使用。唐揚げを大豆タンパク質で再現した「罪なきからあげ」(左端)は大豆粉をベースにし低カロリーでたんぱく質の摂取もできる。「ハッシュドポテト」(右端)は脂などで指先が汚れにくい(写真=スタジオキャスパー)
2月3日、全国のコンビニエンスストアの菓子売り場の光景が変わった。「湖池屋のプライドをかけた本気のうまさ」。そう書かれたポップとともに、棚の横一列にずらりと並んだのは、リニューアル発売したばかりの湖池屋のポテトチップス「プライドポテト」だ。
菓子業界では、リニューアル時の展開は新商品投入時と比べると縮小しやすい。しかし、今回のプライドポテトは初代を発売した2017年2月時点を上回る初回出荷量を達成。湖池屋で営業を担当する濱田豊志取締役は「生産が間に合うか心配なぐらいの引き合い。出来すぎなぐらいの結果だ」と胸をなで下ろした。
ヒット商品の不在やロングセラー商品の終売など、明るい話題が少ない菓子業界において、湖池屋の存在感が目立っている。好調なのはプライドポテトだけではない。
18年9月に季節限定でリニューアル発売した「じゃがいも心地」は、「買えなくなったら困るから、やめないでくれ」と販売の継続を求める電話が相次ぎ、19年2月に通年販売に切り替えた。最近では大豆タンパク質をベースに唐揚げを再現したスナック菓子「罪なきからあげ」を発売するなど、挑戦的な商品も手掛けて話題を集めている。
「プライドポテト」の単価は普通のポテトチップスよりも数十円高い。単価の高い商品の売れ行きが好調に推移していることで、業績は回復基調にある。20年6月期の売上高の見通しは365億円で、これは5年前の17%増。1%前後で低迷していた営業利益率も2.3%を見込む。
17年春の芋不足による「ポテチショック」後、回復
●湖池屋の売上高と営業利益率の推移
「松本カルビー」誕生で苦境に
しかし過去を振り返ると、湖池屋の経営は低迷から抜け出せないでいた。ポテトチップスを担当するマーケティング本部の野間和香奈次長は、「16年までは会社に元気がなかった」と振り返る。
背景にあるのが価格競争だ。きっかけは09年、業界最大手のカルビーのトップにジョンソン・エンド・ジョンソンの社長だった松本晃氏が就任したこと。松本氏は工場の稼働率を高めて価格を抑える戦略を進めた。消費者の低価格志向もあって、この10年ほどでポテトチップス1袋当たりの平均売価は15円ほど下がった。
カルビーがポテトチップスのシェア7割ほどを握るのに対し、2番手の湖池屋はシェア2割しかない。規模で劣るだけに製造コストの低減にも限界があり、厳しい戦いを迫られていた。
価格で勝負ができないなら、商品ラインアップを増やして存在感をアピールするしかない。しかし、従業員数800人ほどの湖池屋ではリソースに限りがある。業績低迷が続く状況では、挑戦しにくいというジレンマがあった。
「競合の動きばかりを気にして、どこかで見たような商品ばかりが増えていた」。創業家の小池孝会長はこう振り返る。商品開発部の白井秀隆部長も「とにかく数をこなすことに必死で、商品を作り込む時間も、消費者を見る余裕もなかった」と言う。
湖池屋の創業は1953年。60年代に国内メーカーで初めてポテトチップスの量産化に成功し、「カラムーチョ」や「ドンタコス」など、発想力やものづくり力を起点にユニークな商品を生み出してきた。ただその強みは、徐々に失われていた。
危機感を覚えて対策に動いたこともあった。2015年には30~40代の精鋭部隊を集め、社内の意識改革を働きかけるプロジェクトチームを立ち上げた。しかし、長年染み付いた意識を変えるのは難しく、成果は出なかった。
「商品が変わればみんなの意識も変わる。ただ根本から変化させるためには、全く違う発想で経営できる人間がやらなくては」。そう考えた小池会長が2年の歳月をかけて探してきたのが、16年9月に就任した佐藤章社長だった。佐藤氏はキリンビバレッジ時代に緑茶飲料「生茶」や缶コーヒー「FIRE」など数多くのヒット商品を手掛けた「伝説のマーケッター」として知られる。社長就任の直後に、02年から「フレンテ」としていた社名を「湖池屋」に戻し再出発を切った。
佐藤社長は当時の湖池屋についてこう語る。「売れている商品のトレンドを追いかけているから、会議で上がってくるアイデアは既視感があるものが多かった」
飲料業界の商品開発では「人の無意識の行動」を起点に商品を作り込むのが定石。それに対し、菓子業界はネーミングや味付けなど「アイデア重視」(小池会長)。そのため、佐藤社長がマーケティング部員と話をしても話がかみ合わない。マーケティング本部の野間次長は佐藤社長との初めての会議について、「佐藤社長の質問の意図や発言の意味が分からず、ちんぷんかんぷんだった」と振り返る。
自信を取り戻すカギは何か──。佐藤社長が活用したのは、創業者、小池和夫氏が生前に残したカセットテープだった。「その業界で最高のものを作る」。この言葉を基に企業理念を現代版にアップデートし、創業の原点に立ち返ることを社内に訴えた。
意識改革が一筋縄ではいかないことは、佐藤社長が来る前の挑戦と失敗で証明されている。さらに当時、外部から来たトップに対し「お手並み拝見」という雰囲気も漂っていたという。
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